日々の泡・あるいは魚の寝言

2002年07月01日(月) 淋しい熱帯魚

という歌が昔、あったんです(笑)。

今日、ふと思ったこと。
「熱帯魚みたいに、愛を下さい」というのは、だめですか?
というのはわがままなのかな、ということ。

日本語的に正しくいうと、「熱帯魚に接する時みたいな接し方で、私には愛情を注いでください」になるかな?
私がほしいのは、そういう優しさなんです。
ああ、これは、男女年令問わず愛情友情思慕を問わずの話ね。
私を好きな人は、こうであってほしいという(勝手な)希望の話です。

犬や猫をかわいがる時みたいに、大事にして抱きしめて、いつも声をかけてやって、添い寝して、みたいなのは、私はだめらしい。
相手の思いに答えてあげなきゃと思って、疲れてしまうんです。
これだけ大事にしてもらってるから、思いに答えなきゃと思っちゃうし、でも答えきれなくて、相手を傷つけて、自分も傷つけてしまう。大体が器用じゃないから、そもそも何をどうすれば、人が喜ぶのかわからないし。

元気がないときに励まされると、「元気にならないと悪いな」とか思っちゃって、でもそれができないで疲れ切る。
思いに思いで答える、それだけのことをするエネルギーも時間も、私にはないんです。過剰な思いやりは、うれしければうれしいほど、私には毒になるから。

だから、熱帯魚みたいにみていてほしいなあ、と思う。
ガラス越しに、距離をとって、「ああ、今日も元気に泳いでるなあ」とか、「今日は元気ないかな? 大丈夫?」とか、軽く声をかけてほしい。
まあ、寄生虫にとりつかれてたりしたら、塩水浴をさせてください(笑)。
ガラス越しに世界をみていても、私は淋しくはないです。みんながみていてくれるなら。たまに声をかけてくれるなら。

ガラス水槽は、いつも外から来る空気をとりいれていて、濾過器は、電気で動いています。水槽は、部屋から隔絶された空間というわけではないんです。

水槽のガラスは、傾けただけで割れてしまうくらいにもろいし、割れたら中の水が流れてしまうし、魚は死んでしまうから、あまり中には踏み込まないでください。
お魚は、人とは違って、水の中の生き物なんですから。

でも、ガラスの向こうの人たちのことを、お魚はいつも愛しています。
感謝しています。
それは、本当のことです。


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