日々の泡・あるいは魚の寝言

2002年04月03日(水) たとえば、お好み焼きの上のカツブシのように

今夜、さっき、某お友達から、ちょいと楽しそうな幸せそうなメールが来ました。

そいでもって、彼女の嬉しい気分が伝染して、仕事中だったんだけど、私、できたてのお好み焼きの上で揺れるカツブシのように、ほわほわ踊ってしまいましたね♪

まあ、そのあとの仕事のはかどることよ。
「アカネヒメ」は、伏線を思いついてたかたか書いちゃうし(読んだ人は泣けるぞう)、さがしていた(もうでてこないとあきらめていた)「マリリン4」(このあと執筆予定)の昔に書いたメモがひょこっとでてくるし。<かなり重要な設定を書いたものなのだ!

で、今は、実に気持ちよく、e−oneを立ち上げたというわけ。

今もまだ、伝染した嬉しい気持ちは、いっぱいに残ってる。
まだ踊れちゃうよん。真夜中だけど。

それでやっぱり思ったのは、私はこういう私で良かったんだな、ってことで。
自分に何かいいことがあるよりも、身の回りで知ってる人や知らない人が、幸せそうにしてるのを見たりきいたりしていて、いっしょに喜んで、それで、いいや。
いやもちろん、自分だって、幸せなのに越したことはないけど、人の幸せをきいただけで、自分も十分幸せになれる体質って、なかなか良いではないですか?
うん。少なくとも、私は好きだ。これでOK。私はこれで、多分正しい。

私は野良猫で、でも同時に、高い空を飛ぶ鳥で、だから街の人々のあいだに降りていって、みんなと深いところで愛し合ったり憎みあったりふれあったりすることはできないんだけど、でも、そんな自分でいいと思ってる。
もちろん、こういう自分なのは、心がどこか欠けているんだろうとか、健全じゃないんだろうとか、わかっているんだけど、でも、それでもこれが私だから。
こんな私だから、人を力づける物語が書けるんだから、だからいいんだろう。

…うーむ、こう書くと、なんだかナルシストな感じになっちゃうなあ。
ま、しょうがないでしょ、作家なんだしさあ。

でも、空を飛ぶ鳥は、同時にやはり野良猫だから、たまには路地も走るぞ。眠る人を見守りながら、幸せを祈りながら、夜明けの街を見ていることもあるぞ。なんだかんだいって、やっぱり、人間の街は好きだから、人に交じって、笑いあったり傷つけあったりしながら、仲良く暮らしていきたいような気もするぞ。

空を飛び続けるのか、地へ降りるのか、今はまだわからないけれど、とりあえず、今日の時点での私は、カツブシダンスを人知れず踊るのです。

#伊勢志摩のK・Kさま。お手紙と美味しいもの、ありがとうございました。
嬉しかったです。「アカネヒメ3」が終わり次第、お手紙書きますので、あと少しだけ、ほんとに、あと少しだけ、お待ち下さい〜。
菅野雪虫ちゃん、電話かけたい、ファックスしたいと思いつつ、なかなか連絡できないでごめんなさい! いろいろ話して盛り上がりたいんですが…。ちょっと待ってね。ファン研の新作、今日とどきました。楽しみに読みます。

うーむ。お仕事が多いのはいいんだけど、手紙や電話やファックスやメールを、友人宛の私用で使う時間が年々激減していくのは、ちょーっと、困るですねえ…。


 < 過去  INDEX  未来 >


chayka [HOMEPAGE]