日々の泡・あるいは魚の寝言

2001年12月05日(水) 朝の独り言

…おとなっていいなあ。

することがあって、こんな時間までおきていても、親にしかられないんだもの。
(ええっと、今ね、12月5日の朝の6時です)。
現在、「ルルー6」執筆中なんですが、ちょっとあんまり体調がよくないもので、いつものような速度ではかけないのがつらいところ…。
何が情けないって、仕事が進まないときの作家くらい悲しいものはないと思うわけで。

だって、作品を書いてはじめて、作家ですから。
作品が描けない作家のどこに、存在意義があるというのだ?

で、早朝の独り言です。
あんまり作品には関係ない話ですが。

今までどっちかというと、苦しいとかつらいとかそういうことは、一番つらい時を通り過ぎてから、人に話すことにしていました。
だって、自分のつらさをひとにのっけちゃうのはいやだから。
自分の悲しみを、ひとに背負わせちゃうのは、こっちがきついから。
できるだけ、見苦しくないわたしでいたいから。
悲しいこともつらいことも、通り過ぎたあとならネタになるじゃない?

でも、「大丈夫、さあ、こっちに荷物はよこしなさい」というひとがいるのなら、一番苦しいときに、少しだけなら、荷物を預けてもいいのかもしれないと思うようになりました。
まあわたしのことだから、預けたふりして、預けなかったりするかもだけど。
でもそれでも、わたしよりも強いひとがそこにいるのなら、みっともないところや、泣き顔を見せることがあってもいいのかな、と。

あるいは、わたしより強く思える人でなくてもいい、小さな手をあちこちからさしだしてくれる人たちがいて、余裕を持っているときだけ、そっとほほえみかけてくれる人たちがいるのなら、少しだけ、本当に少しだけ、たんぽぽの綿毛くらいの重さずつでも、みんなに背負ってもらってもいいのかな、と、思うようになりました。

つらいときは、つらいっていってもいいんだね。

それは、今までよりも、弱くなってしまうということかもしれないけれど、でも、自然に泣いたり苦しんだりして、みんなといっしょにささえあって生きていく方が、きっと、楽しいし、もっと優しい人間になれるような気がする。
いつも誰かを励まして、ささえる側にいたけれど、誰かに手を差し出されても、笑ってごまかしたり、はらいのけてきたけれど、でも、無理することもないのかもしれない。

なんてことを、わたしに気づかせてくれた、みなさまありがとう☆

…ああ、猫どもが暴れている。いったん寝ようかな?
明日もがんばって働こう。って、もう今日でしたか…。


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