日々の泡・あるいは魚の寝言

2001年11月23日(金) 人生かっこつけ

<業務連絡>
ただいま、「風の丘のルルー6」を執筆中です。
メールのお返事、郵便物のお返事など、急ぎのものわけありのもの以外は遅れております…。
ご寛恕下さい。

さて。
昨日だったか、森江さんがちょっと用事があって、うちに電話をかけてきたとき、四方山話をしていたら、そのうち、「どういう判断基準で、行動の取捨選択をするか」という話になりました。
ちなみに、森江さんは、「おもしろいかどうか」だそうです。さすが大阪のひと。ねらいははずさないといった感じでしょうか。

で。
私の場合、それは、「かっこいいか悪いか」です。
人間関係から、仕事のことまで、すべてが「かっこいいか悪いか」。
…いいのだろうか、これで。と、自分でも思わなくもないけど。

でもその、かっこいいも悪いも、「人の目にどう見えるか」じゃないんですよね。あくまで、「客観的にみた場合の自分」が、自分の行動をどう見るかという話なのです。で、この定義は、「自分の主観でみたかっこのよしあし」とも微妙に違う。
たぶん、「自分にとって理想的なアイデンティティを意識的に作り上げようとしている」ということなのかもしれない…。
「レディは人が見えていないときでも、レディとしてふるまうものだ」という言葉がありますが、あれに感覚的に近いかも。
#自分が「レディ」かどうかはさておいて。

仕事相手の人が誠実なら、仕事をきちっとしようと思うのも…
誠実じゃなくても、ひきうけたならとりあえずやりあげようと思うのも…
気に入らない仕事なら、お金がないときでも断ってしまうのも…
人間関係で、さっていく人を引き留めようとしないのも…
無理にだれかにあわせようとしないのも…
なごやかに集団でわいわいやっている中にあえて入っていかないのも…
弱いものいじめをほっとけないのも…
人の陰口や悪口を聞きたくないのも…

みんな、かっこいいか悪いかで、判断して決めていることで。

だからやっぱり、たまに、無理してるなあ、と思わなくもないですね。
もっと楽に、かっこわるく、お気楽にくらしたいとも思うもの。いろんなものに執着して、好きなものを好きだっていって、嫌いなものを嫌いだっていって、あいつは馬鹿だとかいっちゃって、仕事をさぼって怠けてごねて、他人にべたべた甘えてとりすがって、そばにいて、とか、いっちゃって…。

でも、それは、私のキャラじゃないんですよねえ…。

だいたい、「無理してる自分」が、かっこいいんだよ、と思う自分もいたりするわけで。

まあ、人生いろいろって、ことなんでしょうね。
結局は、多分、わたしは今の私で、それが自然で、このまんま一生生きていくのでしょう。

…とか思う自分って、かっこいいじゃん、なんて思っちゃうあたりが、もうどうしようもないのでした。ここまでくると、立派なナルシストだよなあ。まったくもう。




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