日々の泡・あるいは魚の寝言

2001年07月17日(火) ネットあれこれ

ここのところ、またも某動物掲示板での議論に加わっている森の猫こと村山です。
って、あっちでは、身元明かしてないんですけどね(^^;)
私だって、ただの猫飼いとして発言できる場がほしいのよう。
人によっては、職業を告げると、態度が変わっちゃうんだもの。

それにしても、毎度、あそこの掲示板で、変わった理論を展開してくる人々というのは、どうしてああ、投稿文が長いのか?
なにか、昔のパソ通時代に、「投稿文は長い方がいい」というようなセオリーでもあったんでしょうかね?
私なんか、仕事柄、短く簡潔な文章がいいっていう考えがあるから、あの、独演会のような投稿を見ると、めまいがしちゃって…。
他人に自分の思いをわかってほしいという前提があるなら、もっとわかりやすく文章を書くことを心がけると思うんだけどなあ。でないと交流できないのに。
……のど自慢じゃないんだけどなあ(^^;)。

ところで。
話変わりますが。
インターネットは開かれたメディアだといいますよね?
誰でも自由に参加できるメディア。
世界中の誰とでも、友だちになれるメディア。

それはたしかにそうでしょう。
本来であえるはずもない人々と出会い、意見を交わし、なぐさめあい、はげましあうこともできる。楽しいメディアです。暖かいぬくもりのある世界です。
でも、本当に「誰とでも友だちになれる」のかな?

実は、うちの定例チャットに、ここ数回、新しい参加者の人がきていました。
新しい参加者が来るのは、うちのチャットはいつだって大歓迎です。「はじめまして」で来る方のことは、よほどのこと(ネチケット違反)がないかぎり、チャットの常連メンバーは和やかに迎えています。そうしてひとりひとりの新人さんたちが、いつか根付いて、新しい常連さんになっていって……いまの定例チャットがあるのでした。
でも、今回の新人さんは、いろいろと波乱を巻き起こしました。

その方は最初から、明るくおしゃべりな参加者で、「このチャットが好きだ」「チャット常連のみなさんの絆がうらやましい」「常連になりたい」「私のことをわかってほしい」という強い意志が感じられる文章を、打ってくるのでした。
ちょっと変わっているし、甘えっ子だけど、魅力のある人ではありました。

けれど。
その方は結局、全部で四回かな、一ヶ月に渡って、週に一度のチャットに来たのですが、語り口や参加する態度が、どうしても、うちのチャットの雰囲気となじめませんでした。詳しいやりとりは書きませんが、私たちチャット常連が注意し、お願いし、本人も努力するといったに関わらず、参加態度を変えることができませんでした。……たぶん、自分の何がいけなくて注意されているのか、理解できていなかったのだろうと思います。
だから、最終的に、私がメールで、彼女に、冷酷にも、うちのチャットにはもう来ないでほしいということを頼みました。

うちのチャット(もとはいくつかのサイトの共用チャットだったはずが、実質的には、うちのHPのチャット化している)に興味を持ち、楽しんで参加して下さっているその方には、意地悪な要請になりますが、あえてお願いしました。
その方とのチャットでのやりとりが、チャットの常連参加者にとって、かなりの負担になってきているのが、みてとれたからです。
もちろん、私自身も、いらだちを感じていました。
そんなこんなで、チャットそのものの雰囲気も、悪くなりつつありました。

彼女からメールが返ってきました。
「開かれたはずのメディアであるインターネットの世界なのに、みなさんの友だちでない私には、チャットに参加するなというのですか?」という主旨のことが書いてありました。
こんなところに、彼女と私たちの発想の違いがあったのかと胸落ちしました。
彼女はつまり、自分が望めば、ネットの中の、どんな人間関係の中にも入れると思っていたのでしょう(と、私は推測します)。「開かれたメディア」だから。
でも、実際はそうじゃなかった。
少なくとも、うちのチャットは、彼女を受け入れることができませんでした。

かつて、あれはなんでみたのか、「大統領とでも友だちになれる世界だ」と、ネットのことを紹介してある文章を読んだことがあります。
それはそうかもしれません。少なくとも、出会いのきっかけも、友だちになれる可能性もあるでしょう。大統領がインターネットさえしていれば。
ただ。それはあくまで可能性の話で、大統領が望まなければ、彼は画面の向こうの誰かの友だちになることはないでしょう。

ネットの中の世界は、バーチャルな空間ですが、そこで会話をしているのは、生きている人間です。ひとりひとりが書き割りでなく、それぞれの思想や性格をもって暮らしています。ある日突然、「友だちになってね。みなさんが好きなの」と、はいっていっても、受け入れてもらえるというものでもありません。一人一人が生きていて自分の考えをもっているから。そうしてあなたという人物に対して、いろんな感想や思いを持つからです。その感想は、いい評価であるとは限らないのです。

ネットの、新しい人間関係の中に入っていきたいときは、実生活でのそれと同じくらいの、配慮や気配りが大変だと思います。自分がそこのメンバーと違和感なくつきあうことができるのか、見極めることも大切だと思うのです。

チャットに参加したがっていた彼女とは、たぶんもう語り合うことはないでしょう。
今度のことは、客観的に見れば、彼女に落ち度はありません。むしろ、人によっては、私たちチャット常連のメンバーの狭量さを責めるでしょう。
でも、画面のこちら側にいる私たちにだって、冷たいようですが、自分たちがお話しする相手を選ぶ権利があるのです。なごやかなチャットの場に現れた彼女は、私たちの側から見ると、小さな侵略者のようなものでした。

彼女は、もっと自分が歓迎される場で、友だち探しをするべきでした。
十分に魅力的で、かわいらしさもある人なのですから、場の選択さえ間違えなければ、きっと人気者になれるだろうと想像しています。
ネット歴も長いらしいし、私たちとは観点が若干違うけど、ネチケットもそれなりにわきまえている人なのですから……。

#でも、チャットでの口調は、年齢相応のものにしたほうがいいと思いますけどね。掲示板に書き込むときの語り口もね。お子さま口調は場を選ぶのよ。
……と、老婆心ながら書いておこう。


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chayka [HOMEPAGE]