日々の泡・あるいは魚の寝言

2001年05月13日(日) 朝の夢

今朝起きたら、とても疲れていたので、猫二匹を寝床に連れ込んで、朝寝としゃれこみました。

すうっと寝て、そうしたら、夢を見ました。
ランコが、死んだ頃より少し若返って、台所にいるのです。
いつもごはんをもらっていたところに、たって、こちらを見上げている。
のどを鳴らして、「ごはん〜」と、鳴くのです。

「あれ、ランちゃん生きてたの? かえってきたの?」
と、いいながら、だっこすると、ふわふわで、重くて、ちゃんとランコなのですが、匂いがしないのです。
ランちゃんは、いつも、濡れたウールのような匂いがしていたのですが、その匂いがしないのでした。
それで私は、
「ああ、やっぱり死んでいるから、匂いがしないんだねえ」
と、納得したのでした。

そこで、目が覚めました。
ひさしぶりで、ぽろぽろ涙を流して泣きました。

すると、りや猫が、おきあがってきて、私の胸の上に乗っかって、しばらくのあいだ、顔をなめてくれました。で、また元の場所にもどっていって、寝ました。

ちょっとメルヘンな話を書いてしまいますが(ま、私って童話作家だしご寛恕ください)、りやとペットショップで出会い、目があったとき、私は心の中で、
(わたしは今うちの猫が死んだあとで、ものすごく悲しいんだけど、キミはうちに来たら、私を慰めてくれるのかい?)
と、たずねたのでした。
すると、りやは顔を上げて、こちらをみて、すうっと歩いてきて、にゃあと鳴いたのです。
で、「ランコの49日がすぎて、まだお店にいたら、うちのこにしようね」と
約束して、その場を離れ、そうして、みなさんご存じのように、りやは私の猫になったのでした。

子猫がにゃあと鳴いたってことくらい、ただの偶然だと思うのですが、それを偶然と思うことは、つまらないことだと私は思うのです。
あれは、一種の誓約だったと、そう思うことが、私には必要だった。
てか、その方が、楽しいじゃん。

りやは誓約どおり、私を慰めてくれるし、レニは相変わらず利口でかわいいし。
私は猫に恵まれているなあと思うのですが。
でも。
やっぱり、ランコがいなくなったのは悲しい。
この悲しみだけは、一生癒えることがないように感じられてきて、ちょっとだけブルーな日曜日の朝なのでした。
夢であえたのはうれしかったけど、目が覚めたあと辛いなあ。

#ここんとこ、「仕事で忙しい」のと「猫の死のトラウマ」で、一日が終わってしまう。こりゃやばいんじゃないかと思いつつ、たちなおれないぞ〜。
あうあうあう。
客観的にみれば、何やってるんだ、村山、って感じなんだけどね(^^;)。


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chayka [HOMEPAGE]