今朝起きたら、とても疲れていたので、猫二匹を寝床に連れ込んで、朝寝としゃれこみました。
すうっと寝て、そうしたら、夢を見ました。 ランコが、死んだ頃より少し若返って、台所にいるのです。 いつもごはんをもらっていたところに、たって、こちらを見上げている。 のどを鳴らして、「ごはん〜」と、鳴くのです。
「あれ、ランちゃん生きてたの? かえってきたの?」 と、いいながら、だっこすると、ふわふわで、重くて、ちゃんとランコなのですが、匂いがしないのです。 ランちゃんは、いつも、濡れたウールのような匂いがしていたのですが、その匂いがしないのでした。 それで私は、 「ああ、やっぱり死んでいるから、匂いがしないんだねえ」 と、納得したのでした。
そこで、目が覚めました。 ひさしぶりで、ぽろぽろ涙を流して泣きました。
すると、りや猫が、おきあがってきて、私の胸の上に乗っかって、しばらくのあいだ、顔をなめてくれました。で、また元の場所にもどっていって、寝ました。
ちょっとメルヘンな話を書いてしまいますが(ま、私って童話作家だしご寛恕ください)、りやとペットショップで出会い、目があったとき、私は心の中で、 (わたしは今うちの猫が死んだあとで、ものすごく悲しいんだけど、キミはうちに来たら、私を慰めてくれるのかい?) と、たずねたのでした。 すると、りやは顔を上げて、こちらをみて、すうっと歩いてきて、にゃあと鳴いたのです。 で、「ランコの49日がすぎて、まだお店にいたら、うちのこにしようね」と 約束して、その場を離れ、そうして、みなさんご存じのように、りやは私の猫になったのでした。
子猫がにゃあと鳴いたってことくらい、ただの偶然だと思うのですが、それを偶然と思うことは、つまらないことだと私は思うのです。 あれは、一種の誓約だったと、そう思うことが、私には必要だった。 てか、その方が、楽しいじゃん。
りやは誓約どおり、私を慰めてくれるし、レニは相変わらず利口でかわいいし。 私は猫に恵まれているなあと思うのですが。 でも。 やっぱり、ランコがいなくなったのは悲しい。 この悲しみだけは、一生癒えることがないように感じられてきて、ちょっとだけブルーな日曜日の朝なのでした。 夢であえたのはうれしかったけど、目が覚めたあと辛いなあ。
#ここんとこ、「仕事で忙しい」のと「猫の死のトラウマ」で、一日が終わってしまう。こりゃやばいんじゃないかと思いつつ、たちなおれないぞ〜。 あうあうあう。 客観的にみれば、何やってるんだ、村山、って感じなんだけどね(^^;)。
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