日々の泡・あるいは魚の寝言

2001年02月18日(日) 通信講座とか、腹立った日記とか

今日は、児童文学者協会の通信講座のお弟子さんの作品を読んで、感想をメールした。お弟子さんはルクセンブルク在住。といっても、もちろん日本人ですが、インターネットの時代でよかったなあと思う今日この頃。原稿もメールに添付で送ってもらえるし、パソコンの前に座って、一太郎で開いて読めちゃうもんね。原稿用紙を机の上に広げなくていいの。

通信講座、去年からのコースが私にとって初めての講師体験だったんですが、一作の長編を何回も書き直してもらってやりとりしているうちに、目に見えて作品のレベルがあがっていくんで、やりでがありますね。お弟子さんのセンスがいいのが、なによりもありがたいことじゃありますが。
今回は、私の都合で二週間くらいお返事を待っていただくことになってしまったので、申し訳なく思います。

…と、ここまで読んで、「村山は原稿の添削の仕事をしてるんだ。原稿を送っちゃえ」と思ったみなさん、はやとちりしないでね(^^;)。
あくまでも、日本児童文学者協会の仕事でやっていることですので、といあわせはそちらへお願いします。私個人は通信講座はやっておりません。協会から斡旋されてきたお弟子さんの指導をしているのであります。といあわせは、こちら。http://www3.ocn.ne.jp/~zb2001/zbktop.html
日本児童文学者協会の公式HPに、メールを出してくださいね。
って。今年度の通信講座の生徒募集はまだやってただろうか? 多分まだ大丈夫だったと思うけど、問い合わせるなら、急いでくださいね。

話変わって。
某あまり有名じゃない歴史小説作家さんのHPの日記で見た言葉。
「このごろ、猫煎餅をみるようになった。そういう季節なんだな」
みたいな内容の文章。
「猫煎餅」って、つまり、あれ? 猫の礫死体のことかな?

けっこう、むかつきました。
いやちょうど、うちの弟の日記で、猫を車ではねてしまっておちこんだ話を読んだばかりだってこともあったんだけど、「猫煎餅」とはひどい言葉だなあ。
既存の言葉なのか、その作家先生の造語なのかは知らないけど、公開している日記に軽い調子でひょろっと書かれちゃうとその方の作家としてのデリカシーを疑うわ、私。

まあ、猫嫌いな人はいるでしょう。
猫に興味がない人もいるよね。
そういう人にとっては、猫の死体は、ただの物体でしょう。
猫煎餅、とか、しゃれていえちゃうものかもね。
でも、それが、人間と同じほ乳類の、あったかい毛と肌をもった生き物で、ひょっとしたら誰か人間に愛されている(その人にとっては家族であるところの)存在のなれのはての姿だということを、ひょっとしたら、どこかでその猫の帰りを待っている家があるかも知れないということを、その作家さんは想像してみたことあるのかな? ないんだろうなあ。
猫そのものはどうでもいい人だって、せめて猫の飼い主であるところの人間が悲しむことがあるかもしれない、その飼い主に対する同情の念はもって欲しいものです。それとも、たかが猫が轢死したからと悲しむ飼い主を馬鹿だとかオロカモノだと思うのかしらん。
犬好きな人みたいだけど、「犬煎餅」って言葉は見ても平気なのかな?

その人のファンの人で、猫好きな人とか動物好きな人がいてその日記を読んだら、マイナス評価つけるような発言だよね、と思った私でした。ま、私、その人の本なんて、読んだことないし、日記の感じから、あまり好きなタイプの作家さんとは思えないんで、この先も読むことはないからいいんだけど。
ただ、もし何かの偶然で、この先、その人の書いたものを目に留める機会があったとして、私はきっと、そのたびに、「これがあの『猫煎餅』の作家さんの書いたものか」と、思うと思いました(笑)。
いやー、作家は迂闊なことをHPに書けませんねえ。
ね、猫煎餅のS先生。


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chayka [HOMEPAGE]