CORKSCREW Diaries(米国編)
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2003年12月17日(水) THE LIVING DEAD


考えすぎるのは僕の悪い癖だ。
それは十九歳二十歳の頃から変わっていない。
二十台後半の僕は世間一般から見てワカゾーで何にも分かっちゃいない。
そのくせ僕らの周りの同年代は、
「俺達ももう若くないし」とか、
「あなたももう若くもないんだから」
とか言うのは何故なのだろう。
昨年も確か書いた覚えがあるが、
大学を卒業したりした時点で人生って決まっちゃうのかい?
それが僕にはさっぱりよく分からない。
何かがこの国は間違っている様な気がする。
さりとてフリーターでいたところで未来もないのが現状。

「僕ももうそれほど若くもない」
なんてことを英語の先生に言ったら(勿論本意ではない)
「あなたいくつなの? 何バカなこと言ってんのよ」
と言われた。そりゃあそうだ。
外国では幾つになっても大学に入学し直したりし、
自分のキャリアアップを図ることは可能だ。
日本はどうか?
聞くだけ無駄?


なんか大事なものがどんどんこぼれ落ちてしまっているような気がする。
村上春樹の小説にある、どんどん消耗して喪っていくような感覚に似てる。
正直今現在やっていることを定年までやり続けることはごめんだ。
ボァリング、その一言に尽きる。
なんだかよく分からない区分分けをいつの間にかされて、
勝手にレールを引かれた人生なんて真っ平だ。
ある程度の部分まではやれば必ず出来る。
やる気になるかならないかは自分次第だ。
今やっていることに自分の精力を傾ける気なんてさらさら無い。


仮に、亮佑が自分の後任を探すことにでもなって、
「やりませんか?」とでも言うことになったのならば、
全てを投げ捨ててでも行ってしまいそうな気がする。
それは茨の道で並大抵で無い苦労が待ち受けていようとも、
それでも生きてるってことをきっと実感できるはずだ。


こう言うことを言える人っていない。
たぶん分かんないのだろうし、
言っても仕方がないことだ。
この不景気に贅沢言うなと言われるのがせいぜいだ。
それは確かに的を得ている。
それでもそう言う状態を的確に見抜く友人もいる。
「恋する乙女」なんかがそうだ。
だから10年近くも友人をやっていられるんだよなあ。
自分を理解してもらうためには、
まずは人を理解すること、しようと努めること。
だけどこんな本音はさすがに言えないなあ。
書いてるから一緒なのかも知れないけどね。




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