CORKSCREW Diaries(米国編)
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2002年01月13日(日) アンコール・ワット紀行3 セインとの想い出(2/15加筆 一応完結)


アンコールワットの歩き方3


セインと出会ったのはシェムリアップ国際空港だった。
カンボジアの地に降り立った時、辺りは既に真っ暗。カンボジアに二つしかない国際空港の一つだなんてお世辞にも言えないシェムリアップ国際空港は、空港設備を建設中らしく、売店も無ければタクシーチケット売り場も無い所だった。

おいおい、タクシーチケット売り場あるって言う話だったじゃん。無いやんこれ。どうすんねん>俺。
異国の地に降り立って、そんでもって自分一人しかいないって言うのはこういう時にすごく不安になるものだ。アジアにありがちなタクシーや宿の勧誘は獲物を見つけたとばかりに群がってくる。やはり最初ぐらいは多少高くてもパブリックな機関で売られているタクシーを使った方がいい。
・・・よく見ると空港の建物の外にタクシーチケット売り場はあった。ほっと一安心。空港から市内まで、バイクだったら1ドル、車だったら5ドルだった。バイクタクシーはちょっと怖いかな、なんて思っていたくせに、値段の安さと好奇心に負けて、ついつい「モトバイで!」と言ってしまった。学生ん時から友達のバイクに乗せてもらうの好きだったから、バイクの後ろが気持ちいいのは知ってんだ。風を切って走るのは本当に気持ちいい。

そこでバイクで僕をシェムリアップ市内まで乗せて行ってくれたのが、セインだった。
セインと僕はこうして出会ったんだ。

空港から街までは、電灯が一つも無かった。
真っ暗な夜道を僕はセインが運転するモトバイで走って行った。
乾季の夜空は雲一つ無くって、月と星がとても綺麗だった。
オリオン座が僕を迎えてくれている。
オリオン座って日本では寒空の下でしか見たことが無かったけど、
夏の夜空(あくまで日本人の感覚的に言うとだけど)で見るのはなんだかとても不思議な気分だった。

今回の旅は一日目、二日目はガイドを既に契約しているんだけど、
三日目の予定はまだ決まっていなかった。
実は行きたいと思っていたところが僕にはあった。
「ベンメリア」ジャングルの中に埋もれたままの遺跡だ。
すごいところらしいとインターネットで知って、出来れば行きたいと思ってたんだ。
それをセインに話したら、「連れて行ってやるけどどうや」って言われた。
さすがに即答は避けたけど、心は、連れて行ってもらおうかな、なんて考えてた。
答えは、慎重を期さなければならない。
なぜなら、ここは海外だから。安全に旅することも、大事なこと。


とは言うものの、現地でいろいろ話を聞いてみた結果、
まあいいんじゃなないの? って言うことで、ベンメリアに連れて行ってもらうことに決定。
モトバイを飛ばして行く、この魅力に抗しきることも出来なかったし。
1月13日の朝に、ホテルに迎えに来てもらうことに。


実は前の日の晩、全然眠れなかったんだよね。
疲れを取るためにやってもらったマッサージは、確かに体をほぐしてくれたんだけど、
なんか体前体が火照ったような感じになって眠れなかった。食事を食べ過ぎたって言うのもあるみたいで、どうも現地の香草があわなかったらしく、お腹がぐるぐる鳴っていたし。カラダはものすごく疲れていたのにも関わらず、眠れない夜になってしまった。

・・・マズい。
僕のカラダは無理しちゃダメだと言っている。
でも今日はカンボジア最後の日なんだ、無駄にはしたくない。折角だからベンメリアに行きたい。
また来るって言っても次はいつ来れるかどうか分かんねえし。
結局、強行することにした。
その結果待っていたのは、地獄のような強行軍だったんだけど・・・。
でも最初に言っておく。
修行僧みてえなことやっちまったけど、後悔は無い
寧ろ、行って良かったって。本当に思っている。



そういうことで、僕らのベンメリア行きは始まった。
シェムリアップからベンメリアまでは直線距離にして60キロメートルある。
時間は2時間・・・と言う話だったが、やっぱり2時間で辿り着けるような距離ではなかったのである。

最初は良かった、日本政府が舗装したきれいな道を僕らは走って行くことが出来たから。眼前に広がるカンボジア的風景を眺めめながらモトバイは進んで行く。風を切って走るのって本当に楽しい。体調はちょっと今一つだったんだけど、今日はいい一日になりそうな予感がした。
・・・この時までは。

途中から道の舗装が無くなった。
むき出しの赤土の道に変わる。
とはいえここは国道。
ピックアップトラックがもうもうと土煙を立てて僕らを追い抜いて行く。
その土煙たるや、シャレになんないぐらいで、もう全身土まみれになってしまった。
モトバイで来たことを、ちょっと後悔。
しかしここまで来た以上は引き返すわけにもいかない。
でも駄目もう。体力の限界。ここに来て寝不足が僕のカラダに重くのしかかってきたみたい。
外の景色を楽しみたかったんだけれども、埃が激しすぎて眼開けることも出来ない。
「セイン、駄目だわ、ちょっと休憩しよう」って僕はセインに言った。
マジもう限界だった。これ以上走ったらおかしくなりそうだった。


とは言うものの、なかなかいい場所が無い。
なんだかお腹の調子も悪いみたいだ。どうやら昨日食べた鍋の香草が合わなかったらしい。
さらに30分程走り続けてやっとのことで休憩場所に辿り着いた。
一時間半ぐらいしか走ってないのにこんだけへばってしまうとは・・・。
先が思いやられる。
喉が渇いたからコーラを飲んだ。
お腹は飲み物以外何も受け付けようとしない。
完全にダメな時のパターンに陥ってしまっている。
しかしここまで来た以上、引き返すっていう選択枝は僕には無い。
何がなんでも行ってやると決意。


そして国道から逸れて、ついにベンメリアに向かう道に入る。
舗装など無いが、乾いた土である程度整備されていて、走っててもほとんどストレスは無かった。
大きな車が対向車線で来るわけでもなく、せいぜいモトバイか自転車程度だから埃にまみれることも無い。周りを見渡すとカンボジア的農村風景が広がってとても美しい。
日曜日ってこともあり、仏教の儀式がやっていた。
近くの子供たちが、「バイバーイ!」とか「ハロー」とか言って手を振ってくる。
ちょっと照れながらも手を振り返す僕。
子供たちはあどけなくて可愛い。
都市の子供は「1ドル!」とか言ってきたりしてかなりげんなりするのだが、
農村部の子供たちは本当にかわいらしい。
これで僕の体調さえ良ければ良かったんだが・・・
ただ、この頃は大分調子を持ち直してて、外の景色を眺める余裕はあった。


ベンメリアに到着したのはもう11時も過ぎようかとしていたときだった。
長かった、長すぎる。もう限界。これだけの距離を帰りもモトバイに乗って帰ると思うとぞっとするぐらい。
が、遂にここまでやってきた。
遺跡の入り口は、一見、何かが有るようには見えなかった。
アンコール遺跡群のようなチケットチェックは無く、入り口の兵士に4ドル払う。
これが入場料のようなものらしい。
兵士の他に子供たちもいて、僕とセインに付いて来る。
セイン言わく、「彼らは僕の友達やねん」だって。
ずいぶんかわいい友達だ。うらやましい。
お金を請求してくるわけでもない。まあ普通はそうなんだけど。
日本の飴をあげたりして、一緒に歩いた。

そしてベンメリアは・・・すごかった。
ジャングルの中に放置しされたままの遺跡。
それがそっくりそのまま残っているのだ。
木の蔦が遺跡に絡まっている。
瓦礫の中を、僕らは飛び跳ねながら進む。
探検気分で。
一歩間違えれば事故にもつながるような場所だが、これはすごい。
タ・プロームなんて比にならない。
地獄のような道を走ってきた甲斐はあった。
瓦礫の山と言うのはそれはそれで素晴らしい。リアルである。
自然の力と言うものはそれほど強大なもので、
人工の物などやはりいつかは崩れ去ってしまうのだ。
それでも今なお残っているものは、メンテナンスを施してきたからにほかならない。
ベンメリアは筆舌に尽くし難いと言う感じであり、これはやっぱり文章で語り尽くせるものではない。
だからベンメリアの描写はここで筆を置くことにしよう。

ベンメリア周辺はまだ地雷が残っているらしく、
地雷除去の作業をする人が周辺を歩いていた。
これも本当にリアルな風景で、この国の内戦の傷がまだ癒えきっていないことを物語っている。
地雷探知器なんてものを生で見てしまうと本当にリアルすぎてぎょっとしてしまう。
そして地雷を踏まないように人の通った道の上をを慎重に歩いた。
現地の人はよくぞまあ普通に歩けるもんだ。



そうしてシェムリアップへ戻る。帰りは、ちょっと遠回りになるものの、
「東洋のモナリザ」でバンテアイ・スレイを見てから戻る。
ベンメリアまで行ってしまったからもうバンテアイ・スレイは無理だろうなんて思っていたけれども、
ついでに寄ってもらえるのは大変ありがたい。
が、帰りの道は行きにまして地獄の行軍だった。
日はそろそろ高く上って来ていて、灼熱の太陽が僕を照らしつける。
体の調子は、いよいよをもってヤバくなってる。
食欲は全く無い。ただ水分のみをカラダは欲している。
モトバイの後ろで僕は座ったまま眠ろうとするがもちろん眠ることなど出来なかった。
30分乗っただけでもう何時間も乗っているような気分になった。
行きと違って帰りは結構対向車もやって来て、そのたびにもうもうとした土煙をあげて走っていって、僕は苦しくてもうどうしようもなくなるんだけど、さすがに場所が場所だけにどうにもならない。
が、1時間も走ったらもう限界に達して、またも、
「セイン、休もう」と提案。
が帰り道は行き以上に休憩ポイントが無い。
村とか集落も無いありさまで、休憩できたのは提案してから30分も過ぎてからだった。
セインが昼食のパンをくれたけど、半分かじっただけでもう限界だった。
食べられない。
頭がガンガンしてて、体はもうふらふらだった。
どうしようもなくなって、ハンモックで30分、仮眠させてもらった。
「セイン、ごめん、寝させて」って言ったら、
その休憩所にあるハンモックを使ってもいいよって言うのだ。(そこのお店のやつだと思う)
ハンモックで寝るなんて当然のごとく初体験。
なんだかゆらゆら揺れて不思議な感じだが、とにかくこの30分間の仮眠で、体力は少し回復。
よく眠ったなんてとてもじゃないけど言えないけど。
ハンモックで寝るなんてなかなか体験できるもんじゃない。
貴重な体験をまたもやさせてもらったな〜。


少しだけだが体力を回復させて、ようやく僕らは次の目的地に向かう。
そこからバンテアイ・スレイまでは一時間かからないぐらいらしい。
一時間ならばまあ何とか耐えられそうだ。
地獄の行軍は相変わらずだったが、後一時間耐えたらいいって思えば何とかなる。
それにバンテアイ・スレイに近づくにつれ道路の状態が良好になってきて、疲れ切った体にかかる負担が大分軽減してきた。外の景色もそれまでは薮の中をひたすら走るっていう景色から、再び農村風景に変わってくる。そうしているうちにバンテアイ・スレイに到着した。

バンテアイ・スレイは「東洋のモナリザ」と呼ばれる彫刻で有名な寺院である。シェムリアップから40キロ離れたところにあるのだが、思った以上に小さな寺院で、拍子抜けしてしまうぐらいだった。
肝心の彫刻を近くで眺めようとしたが、ロープで立ち入れないようになっていて近づいてみるのも無理。
なんだかなあ・・・まあベンメリアのついでに立ち寄るぐらいでちょうどいいぐらいだったのかもしれない。
セインはと言うと、外で待ってるとのことで、なんか一人でうろうろするのもつまらないのですぐ出て来てしまったような感じ。ガイドと一緒に回ったりすると、多少鬱陶しくもあり、「自分一人でゆっくり回らせてくれよ」なんて思うけど、いざ一人だと、結構のんびり見られないものだな〜なんて思いながら見学した。
本を見ながらでも分かると言えば分かるけど、やっぱり、日本語ガイドがいるといないとでは大違い。
理解を深めるには日本語ガイドは雇うなりした方がいい。


ここから先は楽だった。
道の舗装もちゃんとされてて、土煙を上げながらトラックが走りぬけていくことも無い。
後はもう一つバンテアイ・サムレと言う寺院に寄って、シェムリアップに帰るだけだ。時間も3時を回ったぐらいで、日は傾きかけて大分涼しくなっている。この頃になると僕も大分気分が良くなってきた。
何事も、喉元過ぎれば熱さ忘れると言った感じで、あの灼熱下の地獄のようなドライブもすっかり忘れてしまっていた。セインと他愛も無いことを話しながら、カンボジアの農村風景を見ながら進む。それがまた、結構気持ちがいい。水牛がのそのそと動いている。高床式の家で人々が生活をする。子供たちの笑い声もしている。多くの人を乗せたピックアップトラックが時々僕らを追い越して行く。
セインの運転は、どこまでも丁寧で、無理矢理スピードを上げて行くことも無い。
それが僕が彼を信用しようと思った要因だったりもするんだけど。
こうしてシェムリアップへの道は大変楽しかった。
最後はアンコールワットの脇を通って、南大門を抜けて、シェムリアップへ戻った。
三人乗りの女の子達がキャーキャー言いながら僕らの脇を猛スピードで追い越して行く。
「追っかけるかい?」ってニヤリと笑ってセインが言うが、「いやいや、いいって」って苦笑いで返す僕。
カンボジアの女の子はなかなかかわいらしかった。
キャーキャー言いながら騒ぐ姿はさすがに日本と変わらない。
セイン曰くモラルの低下みたいなものはやっぱりカンボジアでもあるみたいで、
その辺は日本と変わらないな〜って思う。ま、日本ほどひどくはないんだけど。
カンボジアも20年後には今の日本みたいになってんだろうか・・・



そして僕らはシェムリアップまで戻ってきた。
セインには5時に迎えに来てもらうように頼んで、一旦ホテルに戻った。
一旦チェックアウトをしてしまったのでもう風呂とかには入れないが、
トイレで顔を洗った。
・・・すごい泥だらけだ。服も顔も。
シャツは変えられるし顔も洗えるが、この状況では髪も洗えないし、泥まみれのズボンを穿き替えることも出来なかった。仕方が無い、日本までこの汚い格好で行くしかないか、とほほ。
セインが迎えに来てくれるまでの間、買い物に向かう。
まあ今回は大した物を買うつもりはほとんどない。
昨日行ったマッサージの女の子、チリに別れを告げ、
そんで絵葉書でもスーパーで買って帰ろうと思ったぐらい。
チリは接客中だったが、仕事が終わると顔を見せてくれた。
さすがに昨日の今日だから名前も覚えててくれたのが嬉しい。
「じゃあまたね」そう言って別れを告げる。
「また」はあるのかな。


セインが迎えに来た。
バンコク行きの飛行機が飛び立つのは7時50分。6時ぐらいには着いていたほうがいい。
空は、乾季としては珍しく、曇っていた。まるで僕の旅行に合わせてくれたみたいだ。空港に向かう途中、オールド・マーケットを通りかかったときにマッサージルームの前にチリがいた。
さっきもお別れしたところだったんだけど、もう一度大きく手を振る。
いよいよカンボジアもこれでおしまいだ。
もう少しいたかった気もするけど。それも仕方がない。

6時まではもう少し時間があったから、戦争博物館へ。
博物館とはもう名ばかりで、戦車とか飛行機とか銃が陳列してあるだけのものだった。
地雷も一杯陳列してあった。
今は平和だが、この国にはまだ戦争の傷痕が残っている。
地雷が撤去されていないところも多くあるんだろう。
兵器を見ながら、なんだかすごい辛くなった。
セインがやってきて、「どうしたんだ」って聞くから、
「僕は戦争は嫌いだ」と言ったら、彼は、
「戦争は誰だって嫌いさ」って答えた。
うん、そうさ、そうだろう、だけど、この世の中には戦争を望んでいる連中だっている。
そう思った。そんな連中、最低だ。
日本人は平和ボケしてる。
本当にしている。
僕だって現実で戦争を見たわけじゃない。
こういう所があるんだってこと、忘れちゃいけない。
地雷が埋まったままのところがまだいっぱいあるこの国の。


そして僕らは空港へ向かった。
セインともここで遂にお別れだ。
今日一日の報酬を渡す。
すげえいいもの、いろいろ見せてもらったから、
ホントはもっと渡したかったんだけど、困ったことに小銭がもう全然無い。
カンボジアの小銭と、行きの飛行機でもらった和菓子、日本のキャラメルをあげた。
やっぱり思うんだけどね、
「Good driver and English speaker guide should to be paid much money」
僕はそう言ってセインに報酬を渡した。
そりゃあ彼にとっても、25ドルの報酬はすごい収入って言うのも分かる。
公務員の一ヶ月の収入が20ドルとか言うんだから。
だけど僕が今日一日安全に、かつ楽しく旅が出来たのは、
まさしくセインのおかげと言っても過言じゃない。
だから25ドルは全然僕にとっては安くない。
あんまりお金で感謝するのも嫌なんだけど、でも今僕に出来んのはそれぐらいだから。
最後に写真を一緒に撮って、握手して別れた。
セインに本当に感謝。
すげえ楽しい時間を一緒に過ごせて良かった。
本当にありがとう。


こうしていよいよカンボジアともお別れだ。
シェムリアップ国際空港は建造中で免税店なんてものは当然無い。
小さな本屋があるぐらいである。本日の最終フライトと言うことで、かなり多くの人たちが待っていた。そうそう思い出した、そういや今回このフライトキャンセル待ちで取ったんだった。
そういう訳で飛行機は満席だった。フライト時間50分だからいいけど。
で、帰りも軽食が出た。
が、もう体力的にもお腹的にも限界で、ほとんど食べられず。
3日目は結局ものをほとんど食べてない。食欲も無かった。
久しぶりのアジアで、久しぶりにやっちまった食あたり。
そんでも楽しかったのはセインのおかげだな〜。

その後はバンコクから日本へ。
シンガポール航空はやはり混み合っていた。
お腹の調子の悪い僕は飛行機は当然通路側。
和食だったらもう少し食べられるかなと思ったのだけれども、
結局機内食もほとんど食べられなかった。やはり日本で作られる和食と、タイで作られる和食では微妙に違うみたいだ。せっかくのシンガポール航空なのに勿体無い。
が体力は限界だった。どうしようもないくらい。
混み混みの飛行機では横になることもままならず、結局ほとんど眠ることも出来ずに日本へ着いた。
ところでここで疑問なのだが、
行きの飛行機は時差を入れても5時間フライト時間があったのに、
帰りは4時間で着いてしまうのだ。これは一体どういうことなんだろうか? 気流の関係?
大きな疑問を残したまま、今回の旅は幕を閉じる。
今回もまたハードな経験値稼ぎの旅になってしまったが、
今回のカンボジアで僕の旅レベルは確実にアップしたはずだ。
結果的に素晴らしい旅になったと思う。
最終日にもっといいコンディションで楽しめていればなお良かったけど、これはまあ仕方が無い。
何よりも一人で行ったって言うのも自信に繋がったし。
だからすげえ、いい旅作れたと思う。
アイスランドに続いてね。
最初で最後とか思っていったのだけれども、また行きたいなって思った。
とりあえず、セインにまた会いたい。
一ヶ月も過ぎてから手紙をやっと書くことができたんだけどね。
また返事が来るといいな。






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