宇佐美彰朗の雑記帳

2005年03月20日(日) 思い出の「びわ湖毎日マラソン」−−その1・初参加

 「びわ湖毎日マラソン」は今年60回目を迎えました。記念すべきこの大会
は、去る3月6日(日)に開催されたのですが、前日の5日のレセプション
「歓迎の夕べ」に招待され、久しぶりに大津の街へ出かけてきました。とい
うことで3回連載で、「びわ湖毎日マラソン」について思い出を綴ることにし
ます。第1回は「初参加」編です。

 60年前に生れたこの「びわ湖大会」は、日本国内のマラソン大会としては
最も古い歴史のあるものですが、私がはじめてこの大会を走ったのは、39
年前の「1966年6月5日(日)」に開催された「毎日マラソン大会」でした。
大学最後の箱根駅伝に3回目の出場を果たし、卒業後に実業団の「リッカ
ーミシン」に就職した年でした。

 この大会は、自己記録が一定基準をクリアしていないとエントリーできな
いという憧れの全国大会でもあり、とてつもなく大きな大会という印象がし
たことを記憶しています。初参加のその大会は、思いがけずいきなり第3位
でゴールできました。これが評価され、その後の全日本クラスの「マラソン
強化合宿」に参加することが出来るようになったのです。

 合宿ではこれまた憧れの国際レベル級の選手たちと一緒となり、私の心
臓は高鳴りっぱなしでした。当時、飛ぶ鳥を落とす「寺沢徹」「君原健二」
「重松森雄」「広島日出国」などなどという先輩方、そして新進気鋭の「佐
々木清一郎」他、多数の選手たちと一緒だったのです。

 なお円谷幸吉選手も当然対象者でしたが、東京五輪大会の後、故障気味
で、直接お会いするのはその少し後でした。確か1年後の実業団の競技会
で「2万メートル(トラック50周)」でゴールまであと少しというところで、
私が先輩円谷さんを追い越してゴールした後でした。

 着替え室で着替えている時、円谷さんが近づいてこられて「宇佐美君!強
くなったね!」と、声をかけていただいたのでした。思いがけずお褒めを戴
いたわけで、ただただ「ありがとうございます!」と、確か直立不動の姿勢
のまま緊張しきって挨拶するだけで精一杯でしたが、このことは一生の宝と
して、今でも私の脳裏にはっきり刻まれています。

 円谷さん!ありがとうございました!!


 < 過去  目 次  未来 >


usami