西方見聞録...マルコ

 

 

想いと作品の間 - 2005年07月19日(火)

 京都の蹴上というところで山吉ちえさんの映像美術の展示会があったので出かける。

 子どもが出来てから美術館やギャラリーをゆっくり見るという機会はとってもぜいたく品になってしまった。それでもすんでいる町の土地柄、仏教美術系の展示には大変恵まれているのだが、現代アートに触れるのはほんとに久しぶりだった。というか、ほとんど初めてだった。

 初めての現代アートはなんだかとても不思議だった。いろんな想いが乗っかってる映像やオブジェなんだろうけどその想いが作品に昇華されるまでの過程がとても透明な隠喩と暗喩を経ている感じがした。作品を覗き込んで水の底の幾重にも光が屈曲した向こうに作者のキモチが漂っているようなそんな感想を持った。

 え〜っとこの日記でも時々言及しているけどマルコはいま日本に暮らしている外国の子どもたちの映像表現活動にかかわっている。中学生から小学校高学年の子どもが「自分の日常」「郷愁」「アイデンティティ」など語りたいことを自由に映像化している。そこには隠喩も暗喩もなくあるのは直球のストレートのみだ。

 言葉の不自由な環境で「外国人」という枠組みでステレオタイプ化されたメッセージしか発信しにくい彼らが日常の中、言葉ではなく想いを、外面でなく内面を伝えようとする試みに時々マルコは胸が苦しくなる。

 山吉さんの表現はすごく洗練されて、暗喩と隠喩を通じて想いはアートに昇華してしまっているけど、なんとなくマルコがかかわっている子どもたちの表現と原型の部分がちょっとだけ通じているような気がした。想いを言葉ではなく、また集団アイデンティティから離れた個人の内面の表現を目指そうとしているところが似ていたのかな。それとも共通項は映像表現ってだけなのかな。よくわからない。

 山吉さんも活動の本拠地は英語圏だと聞く。

 マジョリティの集団から離れマイノリティの視点に寄り添うことで世界は繊細に多様に展開していく。そんな想いを強くした。

付記1
作品は一つ一つとても面白かった。ユーモアがあったりちょっとぎくっとしちゃう表現もあった。別のところでマルコが書いた作品評をこっちでも書こ。

「We have decided to live in the air」
人がぴょんぴょんとんだ場面だけをつなげて、空を飛ぶことを選んだ人間界を描いた面白い作品。あはは面白い、と見ながら「そうか私たちって大地の上で生きていく事を選んだんだな」といきなり納得した。

少年と犬が愛しい存在の輪郭だけ残して自在に変容する映像。山吉さんがが表現したいキモチってなんだろうと心惹かれた。

あと題名は忘れたけど「犬の肛門覗き」。覗いた私もオブジェになれたって言うか。なんか「世界にはどこにでも穴があって穴があったら、とにかく覗こう。」という気分になれた。

付記2
一緒にギャラリーにいったみなさま、おもしろかったね。なんかアートって1対1の関係になるからみんなで鑑賞するのって不思議だったけどとても面白かった。ほかにお客さんがいたら出来ないけどすごく貴重な体験だったように思うよ。


付記3
子どもたちの作品のURLをここに張っちゃおうかな〜と思ったけどやっぱやめた。ご覧になりたい方はDMください。

付記4
冒頭に「子どもが出来てから美術館やギャラリーをゆっくり見るという機会はとってもぜいたく品になってしまった。」って書いたけど自分の子どもや身の回りの犬を素材にしながら、そういう素材をすっとアートに昇華させる今回のギャラリーの女主人の視点のありようにはっとさせられた。芸術は時間があったり、静逸な環境を保てる人のものではなく、そういう視座を持てる人は泥の中でも何かを昇華させ、アートできる(あるいはせずにはおれない)のだなあ、としみじみした。



 


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