西方見聞録...マルコ

 

 

1号故郷に帰る - 2002年12月25日(水)

 天皇誕生日あたりから帰省の支度をして、着替えなどを宅急便ですちゃらか夫実家と私実家におくり、 24日に家族で東京に移動。

 八王子方面で年末25日-27日まで朝から晩まで仕事をする予定の夫は八王子に出るのに便利な夫実家に泊まり、宴会の予定目白押しの私は都心に近い私の実家に娘二人とともに泊まる。

 25日は娘2人を連れ、娘1号の9月まで通っていた稲田堤の保育園の園庭解放にいそいそと出かけた。前日に園の方に連絡しておいたので、1号の旧クラスの園児たちは散歩にも行かず、窓のところで鈴なりになって娘の到着をいまや遅しと待っていてくれた。

 娘1号の歴代の担任の先生方が入れ替わり立ち代り持ち場を離れて1号の顔を見に来てくれる。

 1号を抱きしめ、励まし、愛しているよ。と告げてくれるたくさんの手。

 保育園の園庭を昔のクラスメイトたちと駆け回る弾けるような娘の笑顔を見ながら、ちょっと泣けた。

 1号は生後5か月と20日からこの園で暮らした。起きている時間の多くを母である私よりこの園の友達と共有してきた。歩けるようになり、言葉を覚え、おしめをはずし、そして友情を育み、時にはケンカし、「物心」というものを獲得した。

 良い友と、素晴らしい先生に囲まれた娘にとって保育園に早くから通わせるのも、長い時間あずけたのも「かわいそう」なことでは決してなかった。しかし家族のように親しみ、これからもともに成長していくと信じていた友と保育園をAからBに変更するように転園させられたのは心からかわいそうだと思う。

 おそらく娘は母が考えるよりずっとたくましく新しい環境で自分の居場所と友人を獲得していくだろう。

 でもお母さんは忘れないよ。君が故郷を放たれ、そこから新しい居場所を得るまでに苦闘した毎日を。

 そして故郷の友達もまたこんなに君を愛し心配してくれている。今は辛いかもしれないけど君はいつだって決して独りではない、たくさんの人が君の後ろで応援してくれているよ。

 その後、娘の保育園の友達でママが現在育休中でおうちにいるWちゃんのおうちに遊びに行く。Wちゃん家は最近おうちを新築した。賃貸住宅友の会だった友人たちも次々と家持になっていた。

 うーん。持ち家あこがれます。という気分にさせられるW家新居でした。そこで少しゆっくりして(布団までひいてもらった)夕方からWママと一緒に保育園に再び行き、仕事から帰ってくるN1まま、N2まま、Sままと待ち合わせて魚民で子連れ宴会。夫@あめでおも仕事を終えて合流。

 このメンバーで一緒に旅行しちゃったこともあった。私自身、働く母親となり、あまりのハードさになんだかぐるぐるしていた時代にこの友とめぐりあい暗中模索しながらなんとか母親業を軌道に乗せた。

 彼女たちは私にとってもまさしく苦楽をともにした戦友だった。

 故郷はかわらずここにあり、いつでも私たちを受け止めてくれる。安心して新しい環境に乗り出そう。

 そう思える稲田堤での1日でした。



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