西方見聞録...マルコ

 

 

義理の人々 - 2002年11月17日(日)

さて、夫実家の人々は私の実家の父母同様、義母が2泊3日。義父が1泊2日で我が家を滞在。法隆寺訪問など、私の実家の両親とほとんど同じ日程ですごした。ただ異なるのは私の実家の父母が奈良市内のフジタホテルに宿泊したのに対し、義父母は我が家に宿泊した。

 夫は私の実父母が我が家に泊まらないのを「水臭い」という。しかし私は実父母が私たちの暮らしに深く食い込むのを好まない。

 義理の両親と言うのは配偶者の戯画だ。日ごろ愛ゆえに見逃してやっている配偶者の欠点をデフォルメしてこれでもか眼前に突きつけてくるのが配偶者の親族ー義理の人々だと私は思う。

 義理の両親と言うのはどんな素晴らしい人々であっても疎ましい。
 夫が私の両親と触れ合うことで私の醜さがあからさまに夫に露呈するのは苦痛だ。逆に夫の両親から普段見逃してやってる夫の欠点をまざまざと見せ付けられるのも不愉快だ。どんなに素晴らしい義両親であっても、触れ合う機会は最小なのがいいと思う。夫婦の愛を長続きさせたければ。

 一例を挙げると、夫はしもネタ系のギャグが大変うまい。乾いた口調でさらりととんでもないことを言い、気付かないうちにものすごい話題に周囲を巻き込むという特技がある。

 私は夫のしもネタ系の話術の巧みさに、インテリジェンスさえ感じていた。
あるとき姑がしもネタ系のギャグを言った。夫と全く同じに彼女もそうした話が大好きだ。

 しかし彼女の話は下品な田舎くさい話にしか聞こえなかった。夫のしもネタも私が愛と言う名のフィルターをかけてみるから面白いのであって私以外の人は夫のしもネタだって不愉快なのだということにやっと気付いた。

 義理の人々は100年の愛にも冷水をぶっ掛ける。

 ゆえに、私は私の戯画である実両親を夫に出来るだけ見せたくない。実両親と交流するのは配偶者の見ていない場所でするのが良いと思う。




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