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YUKI


2003年04月06日(日)
 言葉の感覚


今日『文藝春秋』の三月号を読んでいたら、林望氏が敬語について書いていた。
敬語は、話している相手、自分、話題になっている第三者の間の上下関係や、
TPOを瞬時に判断して使わなければならないので、
大人になってから身に付けようとしても身につかない。
敬語の使い方で、その人の育ちというものがわかってしまう。
敬語は使わなくても変だし、使いすぎても変。ちょうとよいバランスもまた重要である。
ただし、言葉は変化していくから以前は変だった言い方が市民権を得ることもある。
最近は、敬語を使えない親が子供を育てている場合も多く敬語をきちんと使える人間は減っている。
・・・子供を育てている母親として、大変耳が痛かった。
うちの家族構成は、おたくな母親(わたし)とやさしい父親ともっとやさしいおばあちゃんと
反抗期の中学生と、気の利く小学生。
末っ子同志の夫婦で、小さい頃から対外的交渉は親や姉たちがしてくれて、
のほほんと好きなことをしてきた。
今もご近所や親戚はおばあちゃんが応対してくれている。
だからウチには内と外の区別を感じる場面が少ない。
敬語なんてめったに使わない。
子供達がお客さんの前でかしこまってご挨拶する場面は
ほとんど無い。敬語なんか身につくわけがない。
このごろ、長女のものの言い方にこのままではまずいのでは
と思い始めたところだったのだ。
美しい日本語をどう教えたらいいのか?

グワイヒアさんのHPのコンテンツを読んでいて
字幕の言葉の変なところを、とても詳細に検証してあるのを読んで
映画を見ながら、違和感を感じていたのがどうしてか、わかった。
日本語として、この場面ではこういう言い方はしないだろうという感覚が
言葉の仕事をしている字幕製作者や翻訳者でさえ、
あいまいになってきているのかもしれない。
たまたまLOTRの映画に関わった人たちがそうだったのだろうか?
これだけの大作にそういう人を使うということ。
その仕事にチェックが入らないことも問題だが、
やはり全体として言語感覚がだんだんゆるくなってきているのかもしれない。

では、正しい言語感覚というのは、何なのか。
それはどこにあって、どういう風に受け継がれていくのか。

20世紀以降の急速な社会の変化、核家族化、情報化社会
そういう変化の中で、言葉も変わって来ているのだろう。
文化の変化、人間関係の変化、生活様式の変化。
家庭や学校での教育の変化。
言葉も一緒に変化していく。
これまで受け継がれてきたものが、受け継がれなくなってきたのかもしれない。
その中でできるだけ美しい日本語を残していくにはどうしたらいいのか?

目の前にいる子供達に何をしてやればいいのか・・・
具体的に自分の問題としてみると、悩みは深いのであった。

ロード・オブ・ザ・リング 〜 二つの塔 セリフの探求+字幕と吹き替え
http://www5e.biglobe.ne.jp/~midearth/caption/ttt/index.htm
The Wind in Middle Earth ミドルアースの風
http://www5e.biglobe.ne.jp/~midearth/index.htm