【復活!】ダイエットなDIARY
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docomoのCMはおかしい。 自分でのみに誘いまくっておいて、「いやー。いつもおんなじメンツだな〜」というのはどうなんだろう。
・・・いいトシをしてCMに突っ込みを入れているオレも、どうなんだろう。
もう四、五年前にメールアドレスは聞いたが、友達でもなく、特に用もないので、実際には一度もメールのやり取りをしたことがない人からメールが来た。 メールアドレスを変更したらしく、そのお知らせであった。 律儀な人であるのだが、返事を出そうかどうかちょっと迷っている。 話題がないからである。
「綺堂集」は面白い。 本当に当時の古老や老婆が語る怪談を、その場で聴いているかのかのようである。 文章なのにそう感じさせるところはさすがである。
絶版になっていた学術書が文庫化されているのは発見である。 ジョルジュ・バランディエ『舞台の上の権力:政治のドラマトゥルギー』(ちくま文庫、900円)を購入。 フランスの著名な人類学者であり、「植民地的状況」などの用語を生み出した人である。有名な本の翻訳であったが、長い間絶版していた。
それにしても、最近、どうも「ちくま」づいている(笑)。
今日、イタリア人と結婚した人の話を聞く機会があった。 なんでも、ナポリの女性はいいらしい。 綺麗で働き者だそうである。
知っていても、おそらく役に立たたせる機会がなさそうな知識である(笑)。
世間話に使ってみる。
「いや〜ナポリの女は働き者らしいッスよ〜」
「・・・・・」
話は盛り上がりそうもない。 第一、オレはナポリがどこにあるのか知らない。 イタリアに行ったことがあるくせに、である(爆)。
おそらく、外国の特定の都市の一般化にイメージがついていってないのであろう。 これが、「イタリアの女ははたらきものらしいッスよ〜」とかだとまだ使えそうである。要は、色眼鏡というかステレオ・タイプの問題なのである。 「アメリカ人は陽気である」とか「ドイツ人はみんな哲学者のような顔をしている」とか「インド人はびっくりしている」とかは広く行き渡ったステレオタイプである。 実際には、アメリカ人がみんな陽気であるわけではなく、ドイツ人にも考えてないやつはいるし、インド人はみんなびっくりしているわけではない。 また、ステレオタイプは事実にもとづいているわけではない。
これが、その国内部に住んでいる場合にはステレオタイプのレヴェルが一段と深くなる。 だから、イタリアに住んでいれば「ナポリの女は〜」ということにリアリティがある。アメリカにいれば「テキサスの女は〜」とかイギリスなら「エセックスの女は〜」とかが世間話やジョークのネタになる。 つまり行き渡っているステレオタイプとなるのである。 日本でも「北国の女は我慢強い」とかがある。
さらにこのレヴェルを深くしてみると、「隣町のやつは」とか「○●中学のヤツラは」とかというステレオタイプがある。
「オレたち(we)」と「やつら(they)」カテゴリーが人間の社会にはある。 そしてこうしたステレオタイプとかイメージとかの次元を、政治というものは持っている。そして・・・・。
今ニュースをみながらかいているが、びっくりしたので結論として何を書こうとしたのか忘れてしまった。 なぜなら、
どうやら横浜銀蝿が選挙に出るらしい!(爆)。
からである。 「嵐(ラン)」候補である(笑)。 さすがに翔(ショウ)は出ないらしい。
なつかしーー。 しかも、3枚ほどLPレコードも持っているオレ(自爆)。
非拘束比例代表制とかいうシステムは個人名が浸透していると有利であり、そのためタレント候補がでまくりらしい。 しかし、銀蝿とかで大丈夫なのだろうか?
仮にキムタクとかが出馬すればトップ当選しそうである。 やがて国会が紅白歌合戦やスターかくし芸大会になる日も近い。 しかも、売れているときは出馬したりしないから、どれも旬を過ぎて売れなくなったタレントばかりである。 つまんねーー。
そしてきっと、いつまでたっても官僚支配は終わらない。
ちなみに、イギリスで「エセックス州の女(エセックス・ガール)」というと売女とか尻軽とかふしだらな女、という意味である。
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