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川崎サポ・マラン遠征記(チャーター編1) - 2007年03月14日(水)

帰国後、色々な方のマラン遠征記を読みましたが、その中で僕が一番
面白かった日記をご紹介します。


それは稲川さんという方の日記で、ほとんどの遠征組は旅行会社主催のツアー
参加なのですが、稲川さんはmixiで集まった同志でツアーを組んで遠征した
方です(確か5人で組まれたはず)


玄関を出て、玄関に戻るまでがACLと言いますが(言わないけど)、稲川さん
の文章は、ACLってのは、文字通りの”アジア”チャンピオンズリーグだなぁ、
と感じられます。

金子光晴が書いた『マレー蘭印紀行』の現代サッカー版といえば近いでしょうか。



というわけで、稲川さんに許可を取り、ここに転載いたします。

改行や文字の修正ならびに小タイトルをレイアウト上加えました。
また、インドネシア事情で分かりづらい点は、僕の方で注釈を加えましたこと
をご了承下さい。


全3回予定となります。

あ、ちなみに稲川さんの次は、僕(オフィシャルツアー編)か、アレマニア
に騙されてバックスタンドで観ることになった川崎サポ(個人旅行編)の
ご報告です。



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▽マランへ行く(1)


 スラバヤ(※1)でも遠いのに、マランはさらに100kmくらい内陸で、
 おまけに行きがけの地表から、泥やらガスやら噴出(※2)しており、
 次々と集落や高速道路を飲み込んでいるそうだ。

 えらいところに行くことになったわ。

 そんな状況で一般道が大渋滞し、普段なら2時間で行けるところ、下手を
 すれば5時間くらいかかるらしい。


 とは言っても、K氏の手配したガイド&ドライバーは優秀で、チャーターした
 ワゴンは農村の狭い未舗装あぜ道を通って毒の沼を迂回。(迂回路では近隣
 住民が関所を設けて通行料を取っていた。)


 そして突然、工事中の高速道路に法面から侵入。完成している反対車線を爆走し、
 途中で優雅に食事を取ったにもかかわらず、我々はオフィシャルツアーや
 華族バスよりも早く、マランに着いてしまったのであった。


  「えれぇ所に来てまったわ・・・」


 市街に入ると、青ときどき赤のアレマニアのバイクが目につくようになり、
 スタジアムの前では完全に取り囲まれた。超アウェイ。死ぬかも知れん。
 盾を持った機動隊や、銃を持った兵隊さんがいっぱいいるし。

 インドネシア人なのに辛いもの苦手なガイド氏の判断で、アウェイ入口に
 近いところにこそこそと駐車。

 ところが、意を決して車を降りると雰囲気が違う。


 なんか、歓迎されてるっぽい。握手とか求められる。


 果たして、高い鉄柵と有刺鉄線に囲まれた狭いアウェイゾーンに立ち入ると、
 すでに満席に近い観衆が、一番乗りした我々を発見。たちまち、3万人を超えて
 いたという場内は総立ちとなり、万雷の拍手の渦で迎えられたのであった。


 人生、最初で(おそらく)最後のスタンディングオベーションである。
 どうしていいかわからず、とりあえず、いろんな方向に深々と頭を下げておいた。


 衆人環視の下、T氏の横断幕の手伝いなんかをしていると、檻越しに大勢の
 アレマニアが寄ってくる。「何かグッズを交換して!」ということらしいんで、
 持参のタオルマフラーと、青年の青赤のマフラーとを交換した。もらってから
 気づいたが、じっくり見ると色使いが瓦斯(※3)っぽい。

 ところで、この隔離ゾーンには便所がない。駒場の出島以下の待遇である。
 用を足すときには表に出ねばならず、身の安全のため、自動小銃を構えた
 兵士が両脇に護衛についてくれる。



 そんなこんなで、華族バスやオフィシャルバスが相次いで到着。
 どっちも白バイとパトカーが先導してた。我らがドライバーは、来る途中で
 白バイを後ろから煽って冷や冷やしたが。


 その後は、いろんなサイトに載っている通り。


 随分ひどい審判のような書かれようをしているが、それほどヘンなジャッジが
 多発したわけではないと思う。3-1で勝利。後半に神風が吹いて、相手の
 ゴールキックを見事に押し戻したりしていた。外国でアバンテ、ものすごく
 気分ええわ。

 アレマニアの印象も最高やね。応援は休み休みだが、いざ始まると声から
 腕の振りまで、派手で均整が取れている。お立ち台の教祖(※4)もカコイイ。


 帰りは渋滞しながらも普通の道で帰った。



 しかし、これだけで終わる我々ではない。翌日、汽車で再びマランに
 向かったのである。


   ※1:地図 マランはスラバヤのまっすぐ南(下)
   ※2:ガス田泥噴出事故 シドアルジョの泥噴出事故
   ※3:アレマ・マランのカラーは青・赤。青はマラン市のカラーらしい。
      でも何故かアレマニアはユニオンジャックをモチーフにしたTシャツとか多い。
   ※4:サポリーダーは、スタジアム内に櫓を立て、そこで応援する。(写真)



▽マランへ行く(2)

 

 暗い雨の中、スラバヤのsahidホテルに着く。高級中華料理店で祝杯を挙げた後、
 ホテルの周りをうろつくと、実はホテルは駅裏なのであった。

 ちょうど、踏切が馬鹿でかいブザー音を立てたので小走りで近づいてみると、
 4両ほどのディーゼルカーがガラガラと駅に進入するところであった。気動車も
 あるんやな。


 そういえば、今日の帰路、毒の沼の近くで見かけた列車も気動車に見えたが、
 見間違いではなかったらしい。


 薄暗い駅に入るも、英語表記は見事なまでにゼロ。グチャ(座席が前について
 いる三輪自転車)(※1)の客待ち爺さんの助けを借りて、掲示された時刻表から翌日の
 マラン行きが朝の8時4分にあることを理解するのに10分以上かかった。

 別にマランでなくてもいいのだが、それ以外に地名を知らない。ガイドをチャーター
 してくれたほうではないもう一人のK氏は、


  「一日たって落ち着いたマランの街の様子も見たい」


 と言う。

 同感であるが、彼の帰国はあさって、僕の帰国は明日なので、空港とはぜんぜん
 違う方角のマランへ行くのは時間的に無理であると思われた。



 構内はタダで入れるようなので、勝手に出たり入ったりしていると、小ぶりだが
 アメリカンな風貌の機関車に牽かれた客車列車が入線してきた。終点が近いらしく、
 お客の大半が降りてきた。

 線路からほぼ無人の客車に勝手に乗ったり降りたりしていると、これは乗らねばと
 いう気になってきた。せめて、一駅でも二駅でも乗ってやろう。


 ホテルに戻って9階の部屋から窓を開けて見下ろすと、眼下に駅が一望できた。
 窓を開けて寝る。



 で、翌朝4時頃、踏み切りの爆音ブザーで目覚める。銀色のタンク車がゴロゴロ
 走っていた。その後は、断続的に列車が出入りする音を夢うつつに聞きながら
 朝を迎えた。

 朝も6時を過ぎると、ディーゼルカーや客車列車が15分おきくらいに走ってきた。



  ※1:ベチャ(写真)

次回へ続く。


筆者および写真:稲川さん 文責:おが


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