unsteady diary
riko



 同時多発テロについて

戦争になるのかな。

私の父母が生まれる前から、
日本からは戦争がなくなっていた。
だから私は
爆弾を降らせるための飛行機が頭上を飛び交う光景や
丸太みたいな死体を踏みながら逃げる必死さを
身体感覚として知らない。
頭の中にあるだけだ。
想像しようとはするけれど、
想像を絶するものを
そのままそっくり想像することはできないから。

今回のテロの悲惨さも同じで
あっけなくキャパを超えてしまったらしい。
生々しさが感じられないのは、犠牲が大きすぎるせい。

だから私には、
当事者とその周辺の痛みや悲しみが
よくわかっていないのかもしれないけれど。

報復したらなにかが返ってくるんだろうか。
憎しみのまま行動していたら、
殺人の被害者の身内は殺人者だわ。


もうひとつ気になったことがある。
なにか事件が起こるたび、テレビでは必ず専門家を呼ぶ。
学者、研究者と言ってもいい。
彼らにとって、事件という現象は
研究材料であり、同時にメシの種だ。
それ自体は間違っていないし、
検証する人がいなければ困るというのも判る。

ただ。

まだ埋まっている人がいて、
救助している人がいる。
行方不明の人がいて、
生存を最後まで信じるという家族がいる。

沈痛な表情だけ浮かべていればそれでいいなんて、
表面的なことは言いたくないけれど。
いかにも得意げに分析して、
微笑を浮かべながら、確率論など説いてみたりして、
あまりに現実離れしていると思うのは、私だけだろうか。


2001年09月13日(木)
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