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飯田の楽天行き殆ど決定 - 2004年11月10日(水)

今日は帰りに本屋に寄った。何となく小説が読みたくなったからだ。最近は新書、しかもドキュメントモノしか読んでいない。

小説と言えばやはり純文学であるが、明治・大正・昭和前半の作家の作品は殆ど馴染めない。例えば大学時代に監視員バイトをしていたプールで一緒だった人に「三島由紀夫の『暁の寺』は良かったよ」と言われ、豊饒の海シリーズ(全四巻で『暁の寺』は第三巻)を読み始めたものの、分からないと言うか難しくて簡単に挫折してしまった。俺はバカなんだろうかと挫折しながらガッカリしたが、先日芥川賞作家の綿矢りさも「難しくて挫折した」と言っていたので、齢三十にして若干安心した。また、太宰治などにしても感情移入が出来ず、読み始めても眠くなってしまうだけで、読破した作品は一作品たりともない。川端康成は「伊豆の踊り子」と言う数十ページの短編ですら、会社帰りの地下鉄で読むのを難儀し、しかも面白いと思わなかった。三島由紀夫や川端康成が大好きだと言う先日結婚した友人の矢澤(旧姓)の神経は、未だに全く理解が出来ない。第一、歴史上「文豪」と呼ばれる人の作品で、一冊を物凄い勢いで読みきって、心から面白かったと思った作品はハッキリ言って全く無い。外国文学など以ての外で、ヘルマンヘッセの「車輪の下」を買って読んだが、これもいつの間にか挫折していた。かつての塾講師バイト時代の教え子河西が、国語の先生だった鈴木先生の作文講座の課題作文で、「ドイツに行きたい。理由はヘルマンヘッセの『車輪の下』を読んで感銘を受けたから」と書いていたと言う話を聞いて、10歳くらい年の離れた中学生の感覚を全く理解できなかった。やっぱり俺はバカなんじゃないだろうか、などと思った。

そんな年代モノ純文学が実際は苦手な私は、近代・現代小説においても読む本は限られている。そんな私だが、今日は敢えて純文学作品を読んでみようと思い立った。理由は特に無い。

本屋の文庫本コーナーに立ち、まず目に入ったのが村上春樹。高校時代の部活の友達で、ウナギ屋の息子の久米ちゃんは読書が好きで、私とは違う大学だが国文科に進んだ程の人だが、彼は村上春樹が大好きだった。私が受けた模試の現代文の問題で村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」が出題されたと言ったら、その問題を持ってきてくれと何度も言われた記憶がある。そんな久米ちゃんと異なり、私は生涯で村上春樹の小説を読んだのはその模試以外に一切無いのだが、これほど有名な現代小説家の本を読まないというのもどうかと思い、手に取ってパラパラと眺めてみた。

が、どうも私のテイストに合わない。やはり純文学嗜好じゃないのだろうか。

30分ほど逡巡した。結局私が手に取ったのは、「これは間違いなく面白そうだ」と思った、金城一紀の「GO」だった。

「ハワイか…」
 オヤジが僕の前で『ハワイ』という言葉を口にしたのは、僕が十四歳のお正月のことで、その時、テレビの画面では、美人女優三人がハワイに行き、ただひたすら「きれい!おいしい!きもちいい!」を連呼するお正月特番が映し出されていた。ちなみに、それまで、我が家ではハワイは『堕落した資本主義の象徴』と呼ばれていた。
 当時、オヤジは五十四歳で、朝鮮籍を持つ、いわゆる《在日朝鮮人》で、マルクスを信奉する共産主義者だった---。

こんな書き出しで始まるくせに、なんと恋愛小説だと言う。

と言うわけで、第123回直木賞を受賞したこの本を買った。税込み470円。直木賞…、純文学じゃなくて大衆文学だな。


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