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身体髪膚(はっぷ)これを父母に受く、あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり - 2004年03月11日(木)

文芸春秋の4月号を昨晩コンビニで買った。目的は「250万人が読んだ芥川賞二作品の衝撃」と言う特集で、各界の人々が感想を述べている。斉藤孝や草野満代、関川夏央などが寄稿しているが、印象に残ったのは政治評論家と言うか田中角栄の秘書だった早坂茂三と、第一生命会長の櫻井孝頴(たかひで)である。

まず早坂茂三だが、二作に対して酷評に次ぐ酷評である。特に金原ひとみに対する評価は酷評と言うより憎悪の域に達しており、内容にしても「読んでいて苦痛なだけであった」と評している。

今回の「感想文」を書いている中では、比較的長い文を早坂氏は書いているが、その中身は自らの育ってきた精神環境に対して「堕落この上ない」内容の受賞作を嘆いているような感じである。取り敢えず、全感想文中、最も上っ面しか見ていない徹底振りで、どうにも要領を得ない。

特に金原ひとみの経歴に対する精神的・生理的嫌悪感をダラダラ書き連ね、金原ひとみの「がんばって生きている人って何か見てて笑っちゃう」に対して憤怒をぶちまけ、「これは倣岸不遜な人間観だろう。今は死語になった日本人の父祖伝来の相言葉に、『忍耐・努力・勤勉』があった。これを私は愛惜している。天空に羽ばたく彼女は知らんだろうが。」と、いつまで経っても何が何だか的を得ない。天空に羽ばたいていない俺だってあんたが愛惜してることなんざ知らんよ。忍耐・努力・勤勉は今でも死語じゃねえし。

最後に自分の好きな作家は山本周五郎と藤沢周平であると、どうぞご勝手にと言わざるを得ない的の得なさでダラ文を締め括っている。痛過ぎる。

一方の第一生命会長の櫻井氏。早坂さんとは年端もそれほど変わらない風貌であるが(写真から察するに)、こちらは打って変わって金原作品を賞賛している。

櫻井氏は映像文化が支配してきた現代社会に生きてきた人間としての金原作品の読まれ方を書いており、私自身はこの櫻井氏の記述に一々激しく首を縦に振ってしまっていた。何しろ、「確かにこの人が言うとおりに読んでたよ。」と思ったからである。

-蛇、ピアス、刺青といった活字を眼にしたとき、同時にそれらの映像も頭に浮かびます。
-ある決定的な場面で(刺青の)瞳を入れると言う筋立ても、極めて映画的です。
-場面の切り替えもテンポが良い。あらかじめ絵コンテでも作ってから書いたのでしょうか、一行あけるだけで、次の場面が遅滞なく繰り出されていきます。

そして、「読み終えたとき、切れ味の良い中篇映画を見終わったような快感を覚えました。」とまで書いている。確かに、これを読み終えた深夜、私は都内のミニシアターから、無名だが衝撃的な単館上映モノを見終わったような感覚に襲われていた、と言うより、この櫻井氏の記述を見て初めて、あのときの感覚はこういう感覚だったのか、と理解できたほどである。

さらに、私が最も共感出来る櫻井氏の記述は、

「『蛇にピアス』はテレビ化、映画化されるのでしょうか。して欲しくないですね。活字だけで充分映像が見える。」

と評しているところ。もう全くその通り。まさにこれが、私がビデオ屋で「トレインスポッティング」を借りない理由であると、この櫻井氏の記述でようやく気付いた。いつもトレインスポッティングは棚に置いてあるのに、他愛無いほかの映画を借りるのは、こういうことだったのか、と納得したのである。私が二作品を読み返したとき、「蹴りたい背中」は映画になると思ったが、「蛇とピアス」が映画化されても見に行かないだろうな、と直感的に思った。理由は、どんなに映像化を試みても、恐らく幻滅しかしないものしか出来ないと感じたからだろうが、自分の感じたことを上手く文章には出来なかった。

「映画化を前提にした小説は、昔から沢山ありました…(中略)…しかし、これらとは違う。コミックやアニメを下敷きにしたいわゆるサブカルチャー文学とも違う。これは、いわば映像文化に折合いをつけることに成功した新型小説です。」

保険屋の大将が何故こんなことを表現できるのか不明であるが、この人のこの観察眼と言うか感性は物凄い。書評じみたものを見て快哉を叫びたくなるのは殆ど記憶に無いが、この櫻井氏の感想文には脱帽である。

題名に揚げた小難しい「身体髪膚(はっぷ)これを父母に受く、あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」は、上掲した二人が、奇しくもその感想文中で書いている言葉である。早坂氏はこれを以って金原ひとみを糾弾するように得意の上っ面攻撃で評しているが、櫻井氏は「この『孝教』の教えに意識が向かない」ほど金原作品に没入している。

早坂氏は1930年生まれ、櫻井氏は1932年生まれ。殆ど同年代でも、ここまで違うのかと、改めて驚かざるを得ない。時代背景とか世代の問題でなく、これは個性の違いで出てきたものであるんだろうな、と思ったりした。


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