日記++スキが何か解るまで。


2005年03月14日(月) 雪天

消え入りたいほどの暇さ加減。何かの一節にあった「退屈は人を殺せる」確かに。雪と、一人の相乗効果で、ネガティブ思考に拍車がかかる。消えたいという思いはない。あるのは消したいという衝動。唯それだけ。

耳鳴りがする。

消したいのは誰でもなく、私。
我侭な私。
自分本位な私。
勘のいい私。
発想力豊かな私。
聡い私。
利己的な私。
卑怯な私。

忘れられない、私。

消してしまえれば、いいのに。

誰かに、縋りたいとは思わない。と言えば、嘘になるかもしれない。理性では、「縋りたい」なんで微塵もない。けど、本能が警鐘を鳴らす。甘えることを知ってしまった本能が、このままでは何時か倒れると嘯(うそぶ)く。麻薬と同じ。一度知ってしまった心地よさ。求めてしまう道理。反発する理性。
手に取った、ケータイを握り締める。作成しかけたメールが送られることはない。表示された電話番号。押されることのないcall。
手元のマウス。クリックできない名前。オンラインを唯見つめる。
何を期待しているのだろう? 何も期待してはいけない。「泣いたら負けだ。縋れば負けだ。負けるのは嫌だ」そのプライドが私を動かす。

負けるのは嫌だ。

part.142 手
part.69 手
自らの言葉が自分に。突き刺さる。「やっぱり」と言わんばかりに。分かっていた。分かっていて、始めたのだ。何時か来る日を予感していたのに。それなのに、始めてしまった。救いの手だと、思ったのかもしれない。
「信じたい」「信じちゃダメだ」どっちが本能で、どっちが理性だろう。分からない。葛藤するココロ。つかの間の希望。現れたチャンス。渦巻く願望。信じたいは私にとって、欲望なのだ。

裏切られた。と感じることは稀だ。信じていないのだから。そして、信じる限り、裏切りは存在しないのだから。「信じてたのに!」という科白を未だ嘗て吐いた事がない。信じてない人はさておき。信じている人が何かしたときは「何か理由があるのだろう」と考える。私に、その理由が理解できるできないに関わらず、その理由は『しかたのないこと』に分類される。「そうせざるを得なかったのだ」と考える。
私にとって『信じる』とはよっぽどのことで、めったなことでは生じない。『信じる』とは『絶対』と同意語とすらいえるかもしれない。

続きはまたあとで
続き

何でこんな話になったのだろう…精神論。生カキと天然ブリを購入した。浪費で、暗さが解消できるわけでもないが。

私は、二重人格ではないかと時々思ってしまう。実物と文章のギャップ。どっちが本物? どっちが偽者? 。
私にはスイッチがあるのだ。モードを入れ替えることができる。今のところ、3つ。「翡夕」「本名名前」「通り名」だ。これらが、巧みに入れ替えられて、アタシがある。だから、友人とメールを打ちながら翡夕としてこの日記を書くことは出来ない。2つのモードの同時存在はありえないのだ。でも、切り替えさえうまくやれば、今日みたいな内容の日記の後にバカみたいにハシャイだ電話をすることさえ出来る。その切り替えは、無意識に行われ私が操作することは出来ない。切り替えたくても出来ないし。切り替えたくなくても、切り替わる。

整理を付けずにだらだら書き。良くない文だ。

暇。ブリ美味しかった。今日は、家庭教師の登録に行って来た。これで忙しくなればいいと思う。

3月14日がもつ二つの意味。
タイムリミットが来てしまった。もう、どうなるか分からない。


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翡夕 / 手紙 / 『++dimsum』

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