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■ 大地の王の再来(上)ルーンロード�機織妊ぅ凜�ッド・ファーランド
『大地の王の再来(上)ルーンロード�機�/デイヴィッド・ファーランド (著), 笠井 道子 (翻訳) 単行本: 427 p ; サイズ(cm): 22 出版社: 角川書店 ; ISBN: 4829175818 ; 1〔上〕 巻 (2005/03/29) 出版社 / 著者からの内容紹介 驚愕のスケールで描く英雄ファンタジー戦記、ついに開幕!全米で600万部の人気ファンタジー小説をついに日本語化。全世界の征服を目指す無敵の超人、世紀末覇王に、若き〈大地の王〉が立ち向かう! しかしその戦いの背後で人類の真の敵が目覚めようとしていた……。
カバーより <魅力>が失われていく!! <変成棒>(フォーシブル)から言葉にならない痛みが走った。目を開くと、両手の皮膚が地獄の業火に焼かれたみたいに乾き、ひびわれるのが見えた。手首の欠陥が木の根のように浮き上がり、爪は白墨のようにもろくなった。「これはうそよ。わたしがこんなに醜いはずがない」。<変成棒>は<筋力>や<持久力>といった能力を人から人へ賦与することができる。5人から<筋力>を賦与された者は、巨岩をも持ち上げ、10人の<持久力>をもつものはどんな傷にも耐えられた。さらに国を守るという誓約を認められ、そのために必要な賦与を受けたものは、ルーン卿(ロード)と呼ばれた─。
南方の諸国を次々と制圧し、民衆から数万の賦与を吸い上げた、希代の超人・大王アーテンが、ついに北方の国々にその牙を向けた!数十の賦与を受けた<無敵戦士>や、炎をあやつる炎紡ぎ(フレイムウィーバー)、氷原巨人(フロウス・ジャイアント)などの異種族を率いた大王軍に、北の国々は対抗することができるのか!?
冒頭数行で、もうこれはダメと思った。エミリー・ロッダの<ローワン>シリーズよりも対象年齢が高いのはわかるが、それにしても、ぐだぐだと余計な文章が続く。ファンタジー、特に異世界ものは冒頭で入り込めないと、だいたいダメだ。どうでもいいような説明書きで始まるような話は、そこで読みたくなくなる。それでも、まだこれから面白くなるかも・・・とわずかな期待を抱いて読み続けてはいるのだが、だるいなあ、これ。不必要にルビも多いし。
衣服とか生活様式が、ほとんど中世ヨーロッパの感じなのに、いきなり「賦予」とかが出てくる。これはゲームの世界の言葉らしい。他人の能力をもらって強くなるということだ。筋力や持久力、視力、聴力、魅力、叡智などなど、とにかく人の能力を取り込むわけだが、それを差し出した方は、その分その部分が弱まる。筋力なら歩けなくなり、寝たきりになる場合もあるし、視力なら目が見えなくなるといった具合だ。そして「賦与」を受けられるのは、当然ながら力のあるものか、お金持ちに限られる。
話の登場人物は、だいたいが王家に関わりがあるような高貴な人たちばかりだから、ほとんどが自分以外の力を持っていて、誰それは<筋力>を5人分持っているとかという話になる。敵にやられれば、また貧しい者などから「賦予」させるのだ。中には100人分もの「賦与」を受けている者もいる。
この話の問題点は、ここなのだ。普通、人間は一度しか死なない。一度死ねば終わりだ。だから、自分の命も相手の命も大事にしようという気持ちも生まれるわけだが、この話では、力やお金があれば、また生き返ることができる。すでに死んでしまったものは生き返らないが、瀕死の状態なら、「賦与」によって助かることになっている。
これがいかにもゲーム的な感覚で、好きになれない。ゲームでエネルギーを摂取して強くなるのと、基本的には同じだ。この設定が、話に入り込めない大きな要因だと思う。
<魅力>もわけがわからない。3人分の<魅力>を持っていれば、それだけ美しく魅力的になるわけだが、生まれつきはどうだったのか?もちろん、この疑問は登場人物たちも当然持っているわけで、「あの美貌は何人分だな」などと値踏みをして、引き算しながら相手に近づく。
また「賦与」させた相手が死ぬと、その力は消え去り、新しい「賦与」を受けるわけだが、外見的なものも内面的なものもあるから、そういうことが頻繁に行われると、その人物の実体は、何が何だかまるでわからないということになるだろう。
あるいは、力の補給ができなければ、元の自分に戻るわけだから、その人間の社会的評価も価値も下がってしまうというわけだ。もともと自分の力ではないのだから、自業自得とも言えるが。
というわけで、この「賦与」を、当然悪事に使うものもいるわけで、そこで善と悪との戦いということになるのだが、どっちもどっちだよねという感じで、どうでもよくなっている。こうなると、もうファンタジーの域を外れ、完璧にゲーム世代の話だなという感じ。
しかし、無理やり読み進むうちに、この奇天烈さがどこまで行くのか確かめたくなった。主人公の王子グボーン(またどうしてこんな名前なんだろう?)の敵となる、というか全世界の敵、大王アーテンの描写なんて、そのつもりで読むと結構笑える。
やはり昨日も書いたが、「賦与」という、さまざまな能力を他人からもらう技で、大王アーテンは何千人分もの体力、筋力、持久力、声、そして魅力の数々を身につけている。そのため、その姿を見ただけで、あるいは、声を聞いただけで、敵にも関わらずとりこになってしまうといった具合。もはや戦う必要はないというわけだ。ここまでくると、もう馬鹿らしくて笑える。
それほどまでに強力な力を持つ大王に、グボーン王子(どうもカッコ悪い!)は、どうやって立ち向かうのか?魅力も倍増していれば、逆に好色さも倍増しているというアーテン大王に捕らえられた、王女の運命やいかに・・・で、どうなるのよ?と思っていると、いきなり違う場面になってしまって、続きは乞ご期待!というわけだ。
はっきり言って、読み進めるのもバカバカしいのだが、こうなったら、どこまでバカバカしいのか、見極めてやろうという気になる。読了したときに、満足感どころか、あーあ、こんなもの読んじゃったよ!という気持ちになることは必至だとは思うが。
そのアーテン大王、とにかく数百人分の<魅力>を持っているということで、絶世のハンサムらしい。イラストで見ると、アーテンでもグボーン(書くたびに気持ちが沈む)でも、似たようなアゴの尖った細面の顔で、この人に話しかけられても、私は全然平気だなと思うのだが、こういう細面のイラストって、好きな人は好きだよねって感じ。男でも女でも同じようなか細いスタイルで、胸やお尻はどこにあるの?といった絵だ。
私は、昔のSF小説に描かれていたような(例えば 『火星のプリンセス』 とか)グラマラスな絵のほうが好きなので、こういうか細いシルエットの絵には、全く魅力を感じない。そこへもってきて、顔を見ただけで、声を聞いただけでとりこになってしまうと言われてもな・・・。
2005年09月18日(日)
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