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 ジーキル博士とハイド氏/ロバート・ルイス・スティーヴンスン

※画像は創元推理文庫版

内容(「BOOK」データベースより)
深夜、ロンドンの街角でエンフィールド青年は奇怪な光景を目撃する。十字路で少女を平然と踏みつけ、高名な医師ジキル博士の屋敷に悠々と入っていく異様な男ハイド。彼は何者か?アタスン弁護士の疑念を裏付けるように、続いて殺人事件が…。『フランケンシュタイン』『吸血鬼ドラキュラ』と並び称されるホラーの古典的名作、新訳決定版。


<アンプレザントネスの文学─訳者解説より>

英米、ことにイギリス文学の伝統に、unpleasantnessの興味というものが、濃く流れている。アンプレザントネスは不愉快と訳したのでは、ちょっと何のことかwからないが、人間の生活は愉しいほうがよく、愉しからざることをなるべく避けて生きようと心がけるのが普通人の態度であり、同時に愉しからざることを避けえないのが人生であることを誰でも知っている。貧、老、病、死はみな愉しくないが、それらのほうが愉しいことよりも却って現実的に感じられるのは、実はそれが愉しくないからであろう。だがそう考えるとリアルな人生を描いた小説はみなアンプレザントネスの文学ということになり、そういうジャンルを考えることが無意味である。しかし小説の読者はみな他人が借金に苦しんだり、好きな女に逃げられたり、他人の生活のアンプレザントネスを上手に味付けした物語を料理を味わうように味わって、それを“愉しんで”いる人種だということを反省するのは無意味ではない。

英人のいうunpleasantnessはもう少し限定された意味である。というのは、すでに愉しからざることが人生の本質により近いことを認識してしまえば、だからこそ、人生は愉しいと空景気をつけないで、おたがいに愉しからざることを内に耐え、少なくとも社会生活では愉しくはないまでもできるだけ愉しからざる人生の真相を暴露しないように生きてゆこうと努力するのが、彼らの考え方であり、生き方である。ある場合、それは他の国民には、虚飾とも、偽善とも、狡猾ともみえるかもしれないが、こういう考え方、生き方が、彼らの富、彼らの良識、彼らの民主主義、彼らの労働運動や福祉国家建設、彼らの愛国心等を育て、また特色づけてきたことも疑えない。コモン・センスとか、ジェントルマン・シップとかいう言葉の内容が、そこに根ざしている。

英米の大衆が廉価版で買って一晩で読み捨てる文学の特質、すなわちそれらに共通する魅力の性質を一言で言い表そうとすると、それはunpleasantness(不愉快)という魅力なのであって、そうした特殊な刺激を求める読物が、もっと日常的な現実生活の諸相を追求するいわゆる“純文学”よりも一段低い眼で見られていることは、英米でも日本と変わりはない。事実イギリスではshilling shockerとかpenny dreadfulsとか、この種の小説に対する蔑称があって、その蔑称にふさわしい駄作が年々大量に生さんされている。しかしこうした嗜好そのものは前述のようにイギリス人の本来の性向に根ざしたものである以上、こうした通俗小説の形式をとって発表される作品のうちに、しばしば眼をみはらせるような傑作、名作がまじっていることがあるのもまた、驚くに当たらぬことである。

ロバート・ルイス・スティーヴンソンは、まさにイギリスのこの“不愉快”の文学の古今を通じての第一人者である。そしてこの『ジーキル博士とハイド氏』は上に説明したアンプレザントネスの原理を、もっとも巧妙にフィクションの形で提出しているという意味で、彼の最高の傑作ではないが、最も重要な作品の一つである。つまりこの作で彼が彼自身の文学だけでなく、英文学の強い一面──したがってイギリス的知性の一面を、もっとも的確に定式化してみせた。


いかにも英国的な書き出しの文章がいい。この物語では、主人公はアタスン氏ということになるのだろうか、彼の外見や性格の描写が明瞭で、読んでいて気持ちがいい。続いて、ハイド氏の出現を友人から聞き、ミステリアスな雰囲気を感じさせつつ物語が徐々に始まって行く筋書きも、いきなり犯人が殺人を犯す場面から始まるような現代のアメリカものとは違って、いかにも古風で英国っぽいと感じる。

内容は知っているものの、ちゃんと読んだことがない、あるいは読んだかもしれないが、すっかり忘れ去っていたという物語だが、解説を長々と引用したのは、ジキルとハイドの二重人格についての物語ではあるが、結局徐々に悪のほうのハイドが勝っていくという状態が、まさに人間のアンプレザントネス嗜好を表していると思ったため。人間が善でいるためには、不愉快なことも我慢して生きていかなくてはならないが、悪に徹してしまえば、それそのものが愉しからざることなのだから、良心などに縛られることなく生きていける。そういう人生は、社会からは認められないが、良心などかなぐり捨ててしまえば、生きていくには楽である。そして読者もまた自分は善であるとしながらも、他人の悪には興味を持ち、心の奥底の自分の悪の部分で愉快に感じるのだ。というわけで、単なる怪奇ものではなく、娯楽読物などとも言えない、人生の哲学もしっかり語られている名作だった。

2003年09月23日(火)
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