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 しょっぱいドライブ/大道珠貴

第128回芥川賞受賞作。

金だけは充分に持ちながら風采の上がらぬ60代の男の外描写と、語り手である30代女性の気持ちとが巧みに噛み合わされ、二人の間に計算と無垢、太々しさと純心とのドラマが生まれる。そこから漂いだす湿ったユーモアがこの作品の底を支えている。――黒井千次(選考委員)

これは「順当な受賞」とする選考委員の評だが、石原慎太郎「何の感動も衝動も感じなかった。はたしてこの作品にユーモアがあろうか」や村上龍「わたしの元気を奪った。小説として単につまらないからだ」などの評は辛い。実は私の感想も、こちらの辛口批評のほうだ。

まるで児童書でも読んでいるかのような平仮名多用で、冒頭から「とにかくとしよりの運転だから・・・」と始まる。この漢字を使わないことに対しては何か意図があるのだろうが、まずは「読みにくい」という拒否反応を起す。

そして、「いつだって」「なんだって」といったような言葉使いが多く、これもいちいち引っかかる。全体的に現代の会話口調で(ネットで言えばカキコ口調か日記口調?)、きれいな日本語ではなく、小説としてそれのよしあしは内容にもよると思うが、私には不快だった。


[ユーモア感覚]
この作品にユーモアを感じたという人は、たぶんこのあたりで感じたのだろうなと推測はできるのだが、石原氏と同様、私はユーモアは全然感じなかった。ああ、こういう性格の女性っているな・・・という感じで、ここで笑わせようという意図が惨めな感じにしかならなくて、笑うとすれば苦笑の部類かも。こういう性格の女性が「ええ」なんていう返事をするわけがないとまで思う。

60歳と30歳のカップルがいいとか悪いとかでもなく、男女の付き合いがすべて美しいわけでもないが、それにしても夢のまったくない、読んでいて本当に「しょっぱい」感じの小説で、知らず知らずのうちに眉をひそめて読んでいる自分に気づく。後味が悪い。

自分を落としめて笑いをとるのは、ものによっては効果的だが、この小説に関しては、暗さばかりが感じられて全然笑えない。卑下をユーモアと勘違いしているような、不幸とか不運を笑いに変えてしまう前向きな感覚のない、読者が救われない文章だ。

不幸話をして笑ってもらえるならいいが、相手の気持ちをも暗くしてしまうのは失敗である。不幸話の中には、どこかしらにスノッブな部分がなくてはならないし、多少のおしゃれ度も必要だ。それがないと、単なる他人のつまらない不幸話というだけで終わってしまう。

また体言止めのせいか、ネットの中で読む素人の日記みたいな感じが拭いきれない。「素人の日記」はそれはそれでいい。しかしこれは「芥川賞受賞作」である。でも、もしこれがそういった日記だとしたら、二度と読みには行かないだろう。イメージが暗くて、みじめで、いやーな気分になるだけだからだ。


[人生への諦め]
この暗さはなんなのだろう?本当は好きな人がいて、ずっとそのことを考えているのに、それはとても叶わぬことだから、わたしはこのとしより(作者の書いている通りにひらがなにしてみた)でいいなどと諦めてしまっているからだろうか。もっと別の人生があるのではないか?という夢が全くない。

なにも相手がとしよりだから悪いというわけではないし、このとしよりでいいなんていうのは相手に失礼だが、そこに愛情があるのかどうか?あるような気もするし、全然ないような気もする。中途半端で気持ちが悪い。30代にしてすでに人生に諦めを感じ、たまたま子どもの頃から優しくしてくれていたおじさんがそばにいて、この人はお金もくれるし、まあいいか、てな感じにも受け取れる。好きな人と寝たときも、どこか冷めていて、黒井氏の言う「純心」はどこにあるんだろう?と思う。

男性のほうは、それなりにはっきりとした性格をもっているので捉えやすい人物だが(彼はぼうーっとしながらも、彼なりの人生観を持っている)、語り手の女性のほうは自分がなく、夢もなく、楽なほうに流されていってしまっているようで、かといって若さゆえの危うい部分があるわけでもない魅力のない人物だ。この魅力のない人物が語り手なのだから、何の感動もないのは当然だろう。

結局こういった起承転結のない、日常の一部分を切り取ったような話というのは、個人的には好きでないということに尽きるのかもしれないが。



2003年02月14日(金)
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