空色の明日
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2013年12月22日(日) ゼロ

映画「永遠の0」を観に行きました。

いや〜、見ごたえあった。
途中でぼんやりすることが一切なかった。
私にもよくわかるような目線だった。
たぶんもっと若い人にもわかるはず。
戦時中のいろんな眼鏡のかかった目線とは
また別の今の私たちにもわかる価値観で
表現されているのですんなり受け止められる。

いろんな方向から「生きる」という言葉に
いろんな意味があることに気付かされた。
今年観た映画の中でも相当上位。

原作がある作品の映画化にあたり
本を先に読むか映画を先に見るかについて
今日、はっきりと答えが見えた。
映画が先だ。
映画にするとどうしても原作の中で
カットしなければならないシーンが出てくる。
私は映画を見てると「あ、あのシーン切られたな」と
それが途中から気になって集中できなくなる。
だからたぶん先に映画をみて
後から本を読んで意味を深く理解するほうが
自分に合ってると思う。
「永遠の0」も幸いまだ読んでない。
これから読もう。


そういえば家族から戦争の話を聞いたことがないと
思っていたが、おそらく家族でほとんど誰も
戦争に行っていない。
というのも、親は当初子供で
その親はちょっと召集されるには年齢が上だったと
そのことに気付いた。
だから召集されたのは一番最後で
結局戦地に行かずに終戦を迎えたパターン。
そういう年齢なんだ、私って。
私の旦那さんも。
きっとこれがちょっと上だったり下だったりしたら
誰かが戦争に行ってたりするんだろう。
世代ってこういうふうにできてるものなんだと
ふとバウムクーヘンのような層を想像した。


なぜか戦争モノをつい見てしまう。
それはもしかして前世でそういう時代に
生きて死んだのではないかなとよく思う。
空襲や爆撃を受ける夢をみたりする。
と思っていたら、私の母は
「私、前世はイヌイットだったと思うの、絶対。」
という。
アザラシの生肉を食べた感触、食感の記憶があるという。
容易にそれが想像できるのだと。
猫を「あの毛むくじゃらでぐにゃっとした生き物」と
気味悪がって触らない母がそう言うのだから
よほどにリアルに違和感なく感じるのだろう。

本当に前世の記憶ってあるのだろうか。
それともこれが「生きる」ということなのか。


安藤みかげ