紫
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父は昔、「宮大工」でした。
東北生まれで11人兄姉(きょうだい)の末っ子の父は、中学校を卒業してすぐに大工になりました。
それから、各地を転々としながら、日本列島をどんどん南下。
京都で「宮大工」になったのは、二十代前半のころだったと、私がまだ幼いころに母が教えてくれました。
その話しを聞いたときには、父はもう宮大工はやめて、工務店を開業していました。
父が修復に携わった社寺で覚えているのは、清水寺。
あの「清水の舞台」と言われる屋根を、父がていねいにていねいに張りなおしたそうです。
もちろん、宮大工の偉い親方の指示に従っていただけのことですが。
それでも、その話を聞いたとき、幼心に私は単純にも「清水寺は父の寺なんだ」と思ったのを覚えています。
今も清水寺に行くと、清水の舞台を1枚1枚じっくりと眺めてしまいます。
おそらく当時から何度も修復され、父が張ったという屋根ももうほかの人が張りなおしているのだろうけれど、それでも「宮大工」のときの父の「作品」のひとつと思うと、そこにいただろう若かりし父の姿を探してしまいます。
「編集職人」として、父と同じく「物を作る」仕事をしている私。
自分が手がけた「本」や「雑誌」を町の本屋で見かけると、胸が熱くなります。
きっと、父にも一口にはいえないいろんな思いがあるのでしょう。
いつか、父の長い長い昔話しをしながら、父の「作品めぐり」をしてみたい。
同じ「職人」と呼ばれる仕事をしている者同士で、物作りの喜びを語り合いたい、と、うとうと夢のなかで、思いました。
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