紫
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「20年ぶりに来ました」
私のよくいる場所に、そんな母子(おやこ)がやってきました。
20年前までは、親子3人でよく来ていたそうです。
「懐かしい」
そういいながら、娘さんが20年前に父親とよく食べていたという「ハンバーグ」を注文しました。
「父はもう亡くなったんですけどね」
笑顔のなかのその言葉に、私のなかの「家族」の思い出が突然に重なりました。
私にも、子どものころに毎週、通っていたラーメン屋があります。
月に一度、通っていたレストランがあります。
学生を卒業したころ、久々にその地を訪れました。
追われるように、隠れるように、そしてその地から訣別(けつべつ)するように離れた私には、かなり勇気のあることだったけれど、レンタカーのなかから遠巻きに眺めた故郷。
いまだに私には、緊張せずしてなかなか足を踏み入れることのできない「聖地」です。
私の知っている店は、ほとんどが「閉店」していました。
そのときの悲しかった気持ちは、どうにも表現できません。
舌と感覚と、それからそのほかの何かで覚えているあの味、あの雰囲気は、もう二度と再現できません。
今日、来た母子は、本当に喜んで喜んで帰りました。
思い出の場所がここにまだあって、思い出の味がまだそのまま生きていて、それから当時の「思い出」が母子の口からこぼれでていて。
「ぜんぜん、昔と変わりない味でした。ホントにおいしかった。あのシェフなら変わりない味を出してくれると思っていました」
何度も何度も、ホントに何度もそういいながら帰っていく母子に、私の知るはずもない当時の様子が思い浮かばれました。
変化の多い世の中、変わらない何かがそこに存在することに、幾ばくかの安堵が得られるのでしょうか。
それでも、それは、私にとってはとてもとてもたいせつな「安堵」のように思えます。
私はいつ、「安堵」できるものに出会えるのでしょうか。
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