椰子の実日記【JOYWOW】
2005年07月30日(土)
なまくらなマスメディア
村上龍だけではなくぼくも同様に大手マスメディアの衰退を 嘆くものだが、例えばどの点が「衰退」かというと取材力 のなさとか先の台風報道のように大山鳴動横並び大騒ぎとか いうことだけではなく、視点が複眼ではないことだ。
例えば今朝の朝日新聞で
「地上デジタル、光回線で放送容認 審議会が答申」
と報じ、
「これを機に『放送』と『通信』の垣根が低くなり、融合が 進む可能性がある」
としているが、では「垣根が低く」なるとは具体的にどういう ことなのか。「融合」とはいかなる意味か。
そこを報道するのが、メディアの見識ではないのか。
たとえばバルセロナでは既にPLC、即ち電線ネットが実用化 されて久しい。歴史的建造物と景観を保護するため、醜い ケーブルを外に出せないからというが、その結果生活は どうなっているのか。取材して、報道してこそがマスメディア ではないか。
女子アナをタレント並みに扱い、増長させ、有効な人事政策 も打てていない旧態然テレビ局の会長の言葉を
「『光回線網を活用する場合、県域内に限るべきだ』 と注文をつけており」
などと報じるひまがあったら、もっと考えてほしいと思う。
放送と通信の融合はエンタメ系コンテンツだけが問題に なるのではない。生活者の生活品質(QOL)がどういう 風に上がるのか、そのビッグピクチャーを描いて、 関係する省庁、通信会社、放送局、コンテンツメーカー などのファシリテーターとなることこそが、 マスメディアの役割ではないか。
昨日、マーケティングのpoint of viewから ぼくなりのビジョンを描ききった論文 (NTTコミュニケーションズ発行のインハウス 雑誌『BREATHING』向け)とクライアント・プロジェクト を完成したので、特にそう思うのだ。
マスメディアの使い古した丸くなった消しゴムのような なまくらさが、耐えられないのは、ぼくだけではないと思う。 そしてこれは、1980年、大学卒論でマスメディアを「神」 として日本人の共同幻想形成の中心だと論じたぼくからの エールを篭めた愛情の言葉なのである。
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