遠方の仕事から帰り、マンションのドアを開ける。
かなり遅い時間だったので玄関も廊下も照明を落としてあったけれど、奥の方はぼんやりと明るく物音がするので、では進藤がまだ起きているのだと思った。
「ただいま」
けれど返事は無い。
首を傾げながらリビングに向かう途中、何か柔らかい物を踏んづけた。
「何だ?」
拾い上げて見ると脱いで丸まった靴下で、もう片方も少し離れた場所に落ちていた。
それだけで無く、コート、上着、シャツ、ズボンと歩きながら脱いで行ったのが丸わかりに点々と廊下に落ちている。
(進藤め)
だらしないからやるなと言っているのに、疲れている時など一刻も早く楽な格好になりたくて進藤は室内に入った途端に着ている物を脱いでしまうことがある。
それを一つ一つ拾い上げながら歩いて行くと、果たしてリビングには下着姿でソファに大の字になり眠る進藤の姿があったのだった。
「進藤」
声をかけてもぴくりともしない。
電気は煌々と点いており、テレビも点けっぱなし。ソファの横のサイドテーブルの上にはビールの空き缶が二つあり、夕食だったらしいコンビニ弁当の容器もあった。
暖房が入っているので寒くは無いが、進藤の姿が視覚的にものすごく寒い。
「帰って来てシャワーを浴びて、温かいのをいいことに下着姿のままテレビを観ながらコンビニ弁当を食べてビールを飲んでいたら寝落ちした……って所か」
揺さぶっても起きない。
普段やるなと言っていることを全部やり放題にして、それで寝てしまうとはいい度胸だと呟きながらため息がこぼれた。
「電気もテレビも点けっぱなしで、ゴミもそのまま。新しい下着に着替えたのだけは褒めてあげるけど、そんな格好で寝たら風邪をひいてしまうじゃないか」
いくら温かくても下着で寝ていい季節では無い。
どうしてジャージなりなんなり部屋着に着替えないのだと更に追加でため息をこぼしながら、ぼくはテレビを消して部屋を片付けた。
起こしてベッドに寝かせるのは無理そうなので、毛布と掛け布団を運んで来て進藤にかけてやる。
「……ぼくはキミの奥さんか?」
もちろん返事は無い。
最大級のため息をつきながら、それでもぼくはいつの間にか静かに微笑んでいた。
「……お疲れ様」
部屋がこんな有様なのは疲れているからだ。
今日だけのことでは無く、進藤はいつもとても疲れているはずだった。
段位が上がり、タイトルを複数所持するようになったぼく達は対局の予定もぎちぎちで、それ以外にも研究会や指導碁や、イベントへの参加や運営にも関わるようになって来ている。
遠方での対局もごく普通にあることで、なのに進藤はほとんどいつもぼくの帰りを起きて待っていることが多かった。
(今日だってきっと、すぐに起きて片付けるつもりだったんだろうな)
元気な時は家事一通りをこなし、夜食の用意をして待っていてくれることもある。
それはぼくもそうで、お互い様と言ってしまえばそれまでなのだけれど、愛情のなせる技だと思うと心の奥が温かい。
「今日ぐらいは許してあげるよ」
すうすうと安らかに寝息をたてる進藤に、ぼくは独り言のように囁いた。
「でも次はダメだ。ゴミも服も何も片付け無くて構わないけれど、眠るのだけはちゃんとベッドで温かくして眠らないと」
キミが体調を崩すのは嫌だからと言いながら、ぼくはリモコンに手を伸ばすと少しずつ照明の明るさを落として行った。
そして真っ暗になった部屋の中に進藤を一人残してそっと離れる。
「おやすみ」
と、ぽそっと小さく返る声があった。
「ん……塔矢」
愛してると、それはもごもごとした不明瞭な声で目覚めたのか寝言なのかは解らなかった。
「愛してるよ、ぼくも」
今度は何も返らない。
やはり寝言だったのだと思いながら、それでもぼくは自分が満面の笑みを浮かべているのに気がついた。
「大好きだよ、キミが」
愛しさが溢れてたまらなくなって、ぼくはソファの側に戻ると、眠っている進藤にそっとキスをしたのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
この話、まだ載せていないと思うのですが、万一何かに載せていたならごめんなさい。その場合はどこそこに載ってたよーと教えていただけたら嬉しいです。
|