SS‐DIARY

2015年07月18日(土) (SS)可愛いは正義!


それに気がついたのは、ほんの五秒くらい前だった。

風呂から上がって来た塔矢がリビングを横切る時、上体をねじるようにして微かによろけたのだ。


「おまえ大丈夫?」

「何が?」

「どっか具合が悪いんじゃねえ? 実は熱があったりしない?」

「無い。そもそも具合が悪かったらお風呂になんか入ったりしない」


ムッとしたように言われて、それもそうかと引き下がったのだけれど、その後も気をつけて見ていれば時々ふいによろけるようになるのだった。

塔矢は普段、家の中でもだらけた歩き方をすることは無い。武道家のように背筋を伸ばし、すっす、すっすと歩いて行く。


(よろけるって脳かな、だったらヤバイよな)


何日経っても一向に治らないので、おれはどんどん不安になって、とうとう塔矢に切り出した。


「おまえ自覚無いかもだけど絶対どっか変だから、お願いだからおれと一緒に病院へ行って!」


それで検査を受けてくれと言うおれを塔矢は困惑したように見る。


「だから……別にぼくはどこも悪く無いってば」

「じゃあなんでこの頃よろけるんだよ」

「よろける?」

「そうだよ。さっきもそのテレビの前ん所でよろけたじゃんか」


そう言って指さしたおれは、ふっとあることに気がついた。


(あれ? そう言えば塔矢がよろけるのって、いつもこの辺りでだけじゃないのか)


そしてよくよく見てみれば、そこにはおれが数日前に敷いたカエルの顔のラグがあるのだった。

塔矢の好みもあって室内はシンプルに統一されているのだけれど、指導碁先で貰ってしまったので無下にも出来ず、仕方無く一番差し障りが無さそうなそこに敷いたのだ。


「おまえ……もしかして」

「べっ、別にぼくはそんなラグなんて」


そう言いつつも塔矢の視線は斜めを見ている。

瞬時におれは納得した。塔矢はこのカエルのラグを避けようとしてよろけてしまっていたのだ。


「こんなの、そもそも踏むためにあるんだからさあ」

「だっ、だから」


心配した分腹も立って、おれは大袈裟にため息をついて見せながら言った。


「買ったって大して高く無いよ。遠慮せずどんどん踏みつけろよ」

「だから、そういうことじゃなくて!」


踏みづらいじゃないかと小さな声で塔矢は言った。

確かに丸顔でつぶらな瞳でこちらを見つめるカエルを踏みつけるのは少々可哀想な気持ちにもなる。


「キミは知らないのか? 物に目鼻をつければそれは顔になる。顔を与えられた物には魂が宿るって言うんだぞ」

「そんなどこぞの陰陽師みたいなこと言われても」

「それでも魂があるものを足で踏むことは―」

「はいはい、わかったわかった」


要するにこいつはこのカエルが可愛いから踏みつけることが出来ないのだ。


思い返して見れば塔矢の実家には可愛い要素があるものが一つも無い。古き良き純日本家屋という感じで、装飾品と言えば高そうな骨董の壺や掛け軸なんかがあるぐらいなのだ。


(まあ、名人の家に○ティちゃんとか、マ○メロとかあってもなあ)


おれと暮らすようになってからも可愛い要素は皆無だったので、唐突に現れたそれにたぶん対処が出来ないのだ。


「なっ、何がキミに解ったんだ」

「んー、取りあえずおまえがすごく可愛いってことかな」


かあっと塔矢の顔が真っ赤になる。


「だからぼくはこんなものは―」

「うんうん、別に大丈夫だけど、うっかり踏んじゃわないようにそっちの隅っこに置いとこうな」


抗議するのを無視してラグを移動させると、塔矢は心底ほっとしたような顔になった。


(ほら、やっぱり踏めなかったんじゃん)


「なんだ!」

「いや、とにかく」


可愛いってのは正義だよなとおれが呟くと、塔矢は不審そうに眉を寄せたので、そういう所がだよと言って抱きしめて念入りにキスしてやったのだった。


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