ごく希に、ものすごく疲れている時などに軽く鼾をかく時があるけれど、それ以外はとても静かに眠る進藤がその夜突然大声で怒鳴った。
「絶対に渡さねーからな!」
ぼくは溜まっていたメールの返信を片付けてからベッドに入ったのでまだ熟睡にはなっておらず、うつらうつらとしていた所だったので驚いて思わず飛び起きてしまった。
「進藤?」
何事だと、てっきり何かあったのだと思ってきょろきょろ辺りを見回しても何も無い。
それどころか進藤はぼくの隣で目を閉じて眠っているのだった。
(でも表情が険しい)
暗い中目を懲らして見ると、進藤は眉を寄せ歯を食いしばっているように見える。
「進藤、進藤キミ、どうしたんだ?」
最初は具合が悪くなったのかと思い、次に悪い夢にうなされているのではないかと気がついた。
彼と暮らすようになってもう何年も経つけれど、こんな風に眠りながら怒鳴るなどということは初めてだったので本気で心配になってしまった。
「進藤っ」
ゆさゆさと揺さぶり続けていたら、「…ん」と眉間の皺が深くなり、それから進藤が目を開いた。
「塔…矢?」
「うん」
次の瞬間、もの凄い勢いで引き倒されてしまった。
「なにやってんだよ、おまえ!」
わけがわからないまま彼の胸に抱きしめられてぼくは藻掻いた。
「進藤、キミ寝ぼけているだろう、ちゃんと目を覚ませ」
「寝ぼけてるって、おれが? そもそもおまえが―」
怒りにまかせたような声が途中まで言って尻すぼみに消える。
「………あれっ」
戸惑ったような声に変わり、そして改めて胸の中のぼくをじっと見た。
「今いつ? どこ? 何時?」
「今は6月の最後の土曜日で、ここは寝室。そして時間は12時を越えたばかりだ」
沈黙が起こり、それからようやく戒めていた腕が緩んだ。
「ごめん。おれ…もしかして寝ぼけた?」
「もしかしなくても寝ぼけてる。さっきもそう言ったはずだ」
「そっか、そうだな。…良かった」
寝しなを起こされた挙げ句、いきなり狼藉を働かれた身としては『良かった』の一言では納得出来ない。
「一体どんな悪い夢を見ていたんだ」
「夢…ああ」
彼から離れ身を起こすと、進藤もまた同じように半身を起こした。
だんまりのまま時間が過ぎる。
「…なんでもない」
「なんでもない訳がないだろう。あんな大きな声で怒鳴っておいて」
「怒鳴った? おれが?」
「ああ。『絶対に渡さないからな』って―」
ぼくの言葉をみなまで聞かずに進藤はベッドの上に立てた自分の膝に顔を埋めてしまった。
「忘れて」
「は?」
「なんでもないから全部忘れて」
「忘れられるか、それにキミのせいですっかり目が覚めてしまったんだぞ」
これでは当分眠気は戻って来そうにない。その前にこの一件が気になってとても安らかに眠る気にはなれなかった。
「キミのせいだ責任を取れ」
睨み付けると暗い中でも不機嫌な雰囲気は解るのだろう、進藤はじっとぼくを見つめてから大きなため息をついて言った。
「饅頭取られた」
「何?」
「夢ん中でおまえに饅頭取られたんだよ。そんだけ!」
「しっ、失礼だなキミ」
夢とは言えぼくにそんな意地汚いことをさせるなんてと文句を言っても取り合わない。
結局進藤はそのまま再び眠ってしまった。
実は彼が見たのは饅頭を取られる夢では無くて、『ぼく』を見知らぬ男に連れ去られる夢だったと知ったのは更に数年が経った後だった。
「だったら素直に言えば良かったのに」
「言えるか! そんな恥ずかしいこと」
そして本当に恥ずかしそうに首まで真っ赤になってしまったので、その後ぼくの方からその話を蒸し返すことは二度となかった。
でもとても嬉しかったので、心の中では何回も噛みしめるようにしてその時の彼と彼の見た夢とを思い返したのだった。
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