| 2014年01月08日(水) |
(SS)プラスマイナス |
実質、たった一日しか無い正月休みを進藤は和谷くん達とスキーだかスノーボードだかをやりに行って怪我をして帰って来た。
「骨折じゃ無かったから良かったようなものの、もし指の骨でも折っていたらどうするつもりだったんだ」
「そん時は左手でも足ででもなんでも打つよ」
進藤が怪我をしたのは利き手の右手で、骨折では無いが骨にひびが入っているそうで痛々しく手を包帯でぐるぐる巻きにされている。
「左手はともかく、足でなんて行儀の悪いこと許されるわけがないだろう」
「だったら意地でも右手で打ってやらあ」
最近運動していないんだし、天候もあまり良くないのだから無理して今日行くことは無いのではないかと止めたのに、逆にちっとも体を動かしていなかったのがストレスになっていたらしい進藤は振り切るようにして行ってしまったのだった。
そして怪我をしてしまったのだからばつが悪いことこの上無いのはよく解るのだが、だからと言って同じ家の中でふてくされていられるのも鬱陶しい。
「どのみち、しばらくは休みなんだから家でゆっくり過ごしていればいい」
本因坊戦のリーグ入りをしている他、色々と上位に名前を連ねている進藤は、有り難いことというか、それ故に軽はずみなと思わずにはいられないのだが、そういう立場で在る故に事務方が無理矢理棋戦の調整をして、取りあえず不戦敗にはならないようにしてくれたのだった。
ただし最低でも復帰出来るのが半月先なので、進藤は暇を持て余してしまっていた。
「休みって言ったって、これじゃ何にも出来ないじゃんか」
「折角の機会だから話題になっている本でも読めばいい」
「片手で読むのって疲れるんだよ」
「テレビドラマで録り溜めていたのがあっただろう」
「もう全部見ちまった」
「詰め碁でも考えていたら…」
「頭ん中ばっかでやっててもつまんねーんだよ! 」
棋譜の整理も片手ではやりにくいらしく早々に放り出してしまい、同じ理由でパソコンにも向かわない。いつも手にしている端末も利き手ではないと使いにくいらしくて結局これも放りっぱなしになっている。
「だったら外でも出てくれば…」
「寒いし、一人でふらふら歩いてたってつまんねーし!」
ぼくの方は手合いだ指導碁だと年明けから目一杯用事が詰まっていてそれも苛立つ一因らしい。
「おまえはいーよな、おれなんか研究会に行っても邪魔もん扱いだし」
「そんなことは無いだろう」
「あるよ。和谷に口だけ出すならしばらく来るなって言われたし
呆れるのを通り越してなんだか可哀想になってしまった。
「それでもキミ、その分家事をやっていてくれているじゃないか」
掃除、洗濯、買い物など利き手を使わないで済む範囲内ではあるが普段分担してやっているものを暇故に今は進藤が一人でこなしている。
「おれ別に専業主夫じゃねーし」
おれ棋士なのに打てないなんて存在価値ゼロじゃんかというのを軽く窘める。
「キミね、そんなことを言うのは全国の専業主夫の皆さんに失礼だよ。誇りを持ってやっている人が聞いたらどう思うか」
「そいつはそれがやりたくてやってんだからいいけどさ、おれは碁を打つのが仕事だもん」
「だったらせめて、出来ないことばかりを考えていないで出来ることを数えたらいいじゃないか」
「悪いけど、今は説教お断り!」
「違うよ。キミがあんまり投げやりだから。説教したいのは山々だけどね。 そもそもそういう状況になったのも自業自得だとぼくは思っているし」
ムッとするその顔に被せるように言う。
「でもそれは永遠じゃない。棋戦を外されたわけでも無い。なのにたった半月も我慢出来ないなんて、キミは随分辛抱が足りないんじゃないか?」
「んなこと言ったって…」
「人間なんていつどうなるかなんて解らないんだ。ぼくが逆にキミの立場になるかもしれないし、不慮の事故や病気になって今のようには暮らせなくなることだってあるかもしれない。それでもぼくは打ち続けるつもりだけれど、きっと非道く苛立つだろうね」
「その時に備えて心の準備をしろって?」
「気持ちの切り替えが上手い方がいいってことだよ。嘆いているよりその方がずっと建設的だ。キミは確かに手合いには出られないけれど、今日ゴミを捨てに行った。これで1つ。シャツとスーツをクリーニングに出してくれたし、買い物に行って足りない日用品を買い足して来てくれた。これで3つ。ベランダの鉢植えに水もやってくれたし、洗濯と乾燥までやってくれた。これで4つ、いや5つかな。それに対してぼくは朝起きて手合いに行った、それだけしかしていない。1つだ。キミの方が随分多くやっているよね」
「やってる内容が全然違うだろ」
「それでも1つは1つだ。キミはつまらないことだって思っているかもしれないけれど、立場が違えばそんなことだってするのは大変な労力を必要とする場合だってあるんだよ」
「それ、だれの受け売りだよ」
「お父さん」
ぼくが言った瞬間、進藤の表情がさっと変わった。
「塔矢先生が?」
「お父さんは基本、家のことはほとんどしない人だけど、それでも結構身の回りのことは自分でしている。でもそれすら出来なくなった時、随分堪えたみたいだよ」
心臓や他にも幾つか持病を抱える父は何度か大きな手術をした。命の危険があったことも何度もあってもちろんそれは進藤もよく知っていた。
「打てないことはもちろん辛い。でも…例えば自分で飲む湯飲みを下げるこ とも出来ないって言うのは随分辛いことじゃないかな」
なんでもない些細なこと程出来ないことは身に堪えるのではないかと、自分が父に言われた時のことを思い出しながら進藤に言う。
ぼくが父にこの言葉を言われたのは彼のことで深く悩み自暴自棄になりかけていた時だった。
真実は父は知らないし、進藤もまたその時のことを知らない。でも心の中が荒れていたことは確かで、あの時父に窘められていなかったらぼくは今頃こうして彼と過ごしてはいなかったのではないかと思う。
「おまえもあんの? どうにも出来ないで苛つくことって」
「あったよ。そして今でもある」
キミが今そうなようにねと言ったら進藤はなんとも言えない顔をした。
「そうか…そうだよなあ」
大きく息を吸って、それ以上の大きさで吐き出す。
「うん。確かに愚痴ってても仕方無いな」
悪かったとさっきまでとは違う、さばさばとした口調で言った。
「おれはまだ打てるし、この先もずっと打って行けるし」
「うん」
「ちょっとヘマして『一回休み』になってるだけだよな」
「そうだね。『振り出しに戻る』で無かっただけ良かったと思うよ」
ぼくの言葉に進藤は苦笑のように笑って「ほんとだな」と言った。
あまり話題にはならないけれど、スキー場でも死亡事故はあるし、一生引きずるような大けがをする人だっているのだ。
「だったらもう少し建設的なことでもしておまえに点差をつけてやるかな」
「建設的ってどんな?」
「うーん、なんか美味いもん作っておまえを唸らせるって言うのもいいし、今日は寒いから乾燥機をかけて布団を気持ち良くふわふわにしてやってもいいし」
「どっちも魅力的だけど、キミにばかり点数を稼がれるのも悔しいな」
「だったらおまえ、隣で可愛く応援してろよ、そしたらプラス1点くれてやる」
にやりと笑って進藤が言った。
「なんならバニーか裸エプロンで応援してくれたっていいんだぜ」
「キミね…」
いつの間にそういう話になったのだと怒ってやろうと思ったが、彼がいつもの彼に戻ってくれたので、それで良いかとため息のように笑った。
「そうだね、それで3点くれるならどちらかやってあげてもいいかな」
「え? マジ?」
「ああ。でもそれに相応しい働きをしてくれなかったら、逆にキミはマイナス3点ぐらい覚悟しろよ」
「ええ? あー、うん、でも裸エプロンには替えられないなあ。そんじゃ建設的に美味い料理作って布団ふわふわのほかほかにしてやるから、おまえは色気で精一杯おれを落とせよ」
「了解した」
「本当に?」
「くどいな」
ぼくはキミと戦う時はいつでも、それが何でも本気で全力で戦うからと言い放ったら進藤は目をぱちくりさせて、それから嬉しそうに顔全体で笑うと、プラス1点を稼ぐため、勇んでキッチンに向かったのだった。
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いつのまに点数勝負になったのかとか、それ以前にこの勝負、負けてもペナルティは無いわけなんですがその辺りに二人は全く気がついていません。
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