SS‐DIARY

2012年12月05日(水) (SS)進藤ヒカルと赤い風船


その日、進藤は約束の時間に少し遅れてやって来た。

待ち合わせにはいつも遅れて来るのがデフォルトだった彼を散々口を酸っぱくして怒り続け、ようやく遅刻ぐせが治ったはずだったのに、どうしたことかと思ったら、やって来たその姿を一目見て原因が解ってしまった。

進藤は、ふわふわと浮かぶ赤い風船を1つ持っていたのだ。


「ごめんっ」


ぼくを見るなり土下座せんばかりの勢いで謝る。


「ほんとーにごめん。何分? 五分以上待たせた?」

「待ったのは十分だけど…それよりその風船はどうしたんだ?」

「ああ、これ来る途中で貰っちゃってさぁ」


どこかで配っていただろうかと小首を傾げて考えると、進藤がすぐに察して
「違う」と言う。


「おれんちの方だって。なんかイベントやっていたみたいで、くれたから」


子供ならともかく、背丈もある、それなりの年の男に風船をくれるものだろうかと思いつつ、進藤だからくれたのかもしれないなと思った。

彼はとても人好きのする顔をしているから。


「それで持ったまま電車に乗って来たのか…」

「別に駅員にも誰にも止められなかったし。でも凄い乗りにくいのな。うっかりすると潰しちゃいそうだし、人がたくさん居るから邪魔にならないように気をつけなくちゃいけないしで大変だった」


いくら気をつけたとしたも走る電車の中、ふわふわと浮かぶ風船はさぞや人の邪魔になったに違い無い。

電車を下りた後も漂う物を持って歩くのは歩き難く、それで遅刻するはめになったのだ。


「子供にあげるとか、空に放してしまえば良かったのに」

「えーっ? 周りにガキなんかいなかったし、捨てるなんてそんな可哀想じゃん。折角貰ったのに」


それにおまえが風船持ってたら、きっとすげえ可愛いだろうと思ってと、もごもごと口の中で呟くように言う。


「別にいいけど、それを持っていたらこれから行くはずの所は全部入れ無いんじゃないか?」


映画館も無理だし、お茶を飲むことも出来ないし、風船を持ったまま店で買い物をするのもまず無理だ。


「そっか! そうだなあ、そうなるよなあ」


どうしようと今頃になって悩んでいるようなので笑ってしまった。


「いいじゃないか、ずっと外で過ごせば」

「でも―」

「今日は天気も良いし、季節の割に温かい日だと思うし、のんびりと散歩するだけでもぼくは構わないよ」


その代わり風船はキミがずっと持てと言ったら不満そうな顔になったけれど、自業自得という自覚があるのか言葉に出しては言わなかった。


「あっ、でもそうしたら昼飯はどうしよう?」

「カフェで何かテイクアウトして外で食べればいいんじゃないか」

「この前の王座戦の予選、検討するって約束もしてたはずだけど」

「公園のベンチででもどこでも出来るだろう」


本当にそう思ったから言ったのだけれど、進藤は用心深くぼくの機嫌を伺うように尋ねた。


「…それでおまえはいいわけ?」


彼が動くたびに赤い風船が所在なく一緒にゆらゆらと揺れる。


「いいよ。キミと一緒なら別にどこで過ごしたっていいんだ」


こうやって困ることになるのだから最初からそんな物貰わなければ良かったのにとそう思う。

仕方無く貰ったとしても、適当な所で糸から手を離してしまえばそれで済んだはずなのに。


(でも、それが出来ないんだから)


多少邪な気持ちはあったとは言え、可哀想だからと風船を捨てられなかった進藤をぼくはとても好きだと思う。

出来るならその優しさはぼくだけに向けてくれればいいのにと思わないでも無いけれど。


「…何笑ってんだよ」


愛しいと思う気持ちが顔に出てしまったらしい、進藤にムッとしたような顔で言われてしまった。


「にやにや笑ってイヤらしい」

「可愛いなあって思ったんだよ、キミと風船」


明るい彼の髪の色に赤い風船はよく似合う。


「何、それイジメ?」

「いや、バカだなあ」


惚れ直したと言っているんだよと微笑みながら言ってやったら、進藤は持っている風船と同じくらい真っ赤になった。


「やっぱそれ、イジメだ」

「だったらもっと苛めてあげるよ」


優しいキミが大好きだよと空いている片手に手を滑り込ませ、ぎゅっと握る。

進藤は驚いたような顔をして、もう片方の手で持っている風船が大きくゆらりと揺れた。


「どこに行く? 公園?」


覗き込むようにして顔を見詰めたら進藤はさらに顔を赤く染め、「どこでも」とぶっきらぼうに言ったので、ぼくは思わず声を出して笑うと、彼と風船と一緒に過ごせる静かな場所を探すために、彼の手を引っ張るようにしてゆっくり歩き出したのだった。


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