| 2012年07月29日(日) |
(SS)決戦、スイーツ男子 |
本因坊戦第七局。
タイトルを賭けた戦いの決着がつくこの日、午後の対局が始まってすぐ、挑戦者の進藤九段は運ばれて来たおやつを見て大声をあげた。
「ああっ、おまえの方、チーズ大福じゃん。狡い!」
タイトル戦など日にちを跨ぎ、丸1日打ち続けるような対局の時は午前と午後におやつが出る。
大抵は午前にこってりとした味の濃い物。午後にはフルーツなどの軽い物が出されるが、今日は珍しく逆だった。
そしてこのおやつは対局者のリクエストに応じて用意されるものなのだが、どういうわけか逆に出されてしまったらしい。
進藤九段の手元にあるのは口当たりの良さそうな水羊羹で、でも進藤九段は不満そうに対局相手である塔矢本因坊の傍らの盆から目を離さない。
「おれ、水羊羹苦手なんだよ。ここのチーズ大福美味いって言うから食べてみたかったのに」
周囲は皆、呆気に取られている。
殺すか殺されるかに近いような真剣勝負の途中で、こんな呑気なクレームを本気でつけたのは進藤九段が初めてだったからだ。
記録係も立会人も、皆宥めようかどうしようか迷った時、いきなり塔矢本因坊が俯いてぷっと吹きだした。
「勘弁してくれ、折角緊張感を維持できるように頑張っているのに、隙を突くようなことをされたら笑ってしまうじゃないか」 「だって、おれちゃんとリクエストしたのにさあ」
すみません、すみませんと間違えて出したらしい仲居が畳に頭をすりつける。
「頂いたメモを逆にしてしまったようで、本当にこんな大切な時に申し訳ありません」 「あ、いえ、いいんです」
進藤九段では無く塔矢本因坊が言う。
「食べ物のことぐらいでごちゃごちゃ言う彼の方が悪いんです。大福だって水羊羹だって中身は大して差がないんだから文句を言わずに食べればいいものを」 「こっちだってなあ、おまえを一泡吹かせるのに無い頭絞ってるんだから、糖分補給は大切なんだよ」
好きな物、美味しいものだとモチベーション上がるしと言うのにまた塔矢本因坊が笑う。
「じゃあ…取り替えてあげると言いたい所だけれど、ぼくもこれ、食べてみたい気持ちになったからタダでは取り替えてあげられないな」 「はあ? 金取るのかよ、ケチ臭い」 「誰がそんなこと言った、もしこの勝負でぼくに勝てたら譲ってもいい」
それまでは食べないで取っておくよと言われてむうっと進藤九段の眉が寄った。
「それって、おれが勝てないの前提にして言ってねえ?」 「まさか、キミ相手にそんな舐めたことを思って無いよ。だからキミも水羊羹は食べないで取っておいてくれ」
キミはそんなに嫌うけれどね、その水羊羹だって、東京では行列しないと買えないものなんだよと言われて眉が下がる。
「よっしゃ、やる気出た。絶対おまえのこと負かしてやる」 「受けて立つよ」
塔矢本因坊の鮮やかな笑みをきっかけに、再び二人は元の緊張を取り戻した。
戻らなかったのは周囲である。
本来見るべき二人の対局よりどうしても水羊羹とチーズ大福に目が行ってしまう。
ということで、前代未聞のことではあるがおやつは途中で下げられて、代わりに午前と同じフルーツが出された。
けれどどちらも手をつけず、長い時間放置されることとなり、決着が着いた夕刻、ようやく本来のおやつと共に両棋士の口に入ることになったのだった。
※※※※※※※※ 私、対局の前夜とか、打ち掛けの時に何を食べたかというのを読むのがすごく好きなんですが、おやつもまた色々あって面白くて好きです。 チーズ大福は今年の本因坊戦だったかな?美味しそうでございました。
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