SS‐DIARY

2012年04月26日(木) (SS)春よ来い


ゴウっと風に髪が乱されて、指で直して顔を上げたら隣に誰か立っていた。

ちょうどホームの反対側に各駅が到着した所で、そこから降りて来た人が、乗り換えでこちらに来たんだろうと、そう思って更に視線を上げたら見覚えのある横顔があった。

「進藤」

思わず言葉をこぼしてしまったら、相手も気がついて驚いたような顔をする。

「塔矢」

けれどすぐにムッとしたように口を噤み、そのままぷいっと横を向いてしまった。

(子どもっぽい)

いつまでも根に持っているのだと思いながら、ぼくもまた憮然とした面持ちで反対側に視線を流した。

少し前、北斗杯の予選がきっかけで喧嘩をし、そのまま会わなくなって一ヶ月が経つ。

棋院ではたまに姿を見かけるが言葉を交わすことは無く、希にばったり出くわしてもこんなふうに不機嫌な沈黙になるのが常だった。

(春までこんな状態なのか)

会えないだけでも堪えるのに、あからさまに避けられるのは気持ちが沈む。

もちろん進藤がぼく自身を嫌ってしているのでは無いということは重々承知している。

ライバルなのだから、このくらい緊張があって当たり前で、仲良く穏やかに過ごすことが出来ないのも百も承知だ。

でも、それと寂しいと思うことは別だった。

長い間焦がれて、やっと当たり前のように会えるようになったのに、いきなり絶縁とはどういうことだ。

腹が立つけれど自分側からはどうにも出来ず、待つだけしか出来ないのが非道く悔しい。

(大体、ぼくだって好きで予選をパスしたわけじゃない)

若手の中での成績が現在トップで、そういう立場に在る物がシードになるのはタイトル戦でも同じだからだ。

進藤だってそれをちゃんと解っている。解っているけれど、それとこれとは別なのだろう。彼はいつでもぼくと同じ場所に居て、追い抜きたいと願っているから。

「おまえ、今日なんかあったっけ?」

唐突に進藤が口を開いた。

「ちょっと事務方に用があって…。キミは?」
「おれは控え室に忘れモンしたから」
「そう」

そして再び沈黙になる。

ちらりと見上げる表示では、まだ電車は最低でも後五分は来ない。

その五分間、こうして黙って立ち続けているのは苦痛だなと思った。

「おれ、あっち行こうか?」

しばらくしたらまた進藤が言った。

「え?」
「おれと居んの、ムカつくんだろ。無理してこうしていること無いし、おれあっちに行くから」
「いや…なんで?」
「溜息ついてる」

さっきからでっかいのを三つもついたと言われて、無自覚の行動に赤面した。

「ごめん、気がつかなかった。でもキミが離れることは無いから」

むしろぼくが向こうに行くと言ったら進藤は即座に「なんでだよ」と言った。

「だってキミ、怖い顔をしているじゃないか。ぼくが側にいるのが不愉快なんだろう?」
「別に愉快じゃないけど、不愉快でもねーよ」

だから別に移動する必要無しと言われて動けなくなった。

電車はまだ前の駅も出ていない。いつもは小まめに来るくせにどうしてこんな時だけ間が開くのだろう。

風は強くて、寒いくらいで、でもその寒さに救われていると思う。

そうでなければきっと情けない顔をしてしまっていた。

「あのさ」
「キミ―」

まったく同時に言葉を発し、そのタイミングに驚いて口を閉ざす。

「なんだよ、先言えよ」
「キミこそ先に言えばいい」
「…別に特別話すことなんか無いし」
「そう。だったらぼくも特別にキミと話すことなんか無い」

突き放すような言い方は性格故で、でももっとマシな言い方は無いのだろうかと自分で自分を情けなく思う。

背後には何度も各駅停車が停まる。なのにどうしてこちらにはいつまで経っても電車がやって来ないのだろう。

目に映るのは薄汚れた線路と、その向こうに生えている雑草。

風は相変わらず強くて、手も足も心も凍えてしまいそうだとそう思う。

(せめて春なら良かったのに)

春ならば、この場所から見える景色ももう少し違っていただろう。吹いてくる風も暖かだし、こんな風にホームで寒い思いをすることもたぶん無い。

「おまえ、おれが負けると思ってんだろ」

また進藤だ。どうしてこういきなり口を開くのか。

「思って無いよ」
「どうだか。おれなんか選手に選ばれないってきっと思ってる」
「キミはどうなんだ?」
「あ?」
「キミは自分ではどう思っている。勝てないと、選手になんかなれないってそう思っているのか」
「まさか、なって見せるって言ったじゃん」

うん、そうだね。そう言って、キミはぼくと会わない宣言をしたのだから。

「だったらぼくに聞くことなんかないじゃないか」
「なんだよ、それ」
「勝てると思っているなら、キミは勝つ。ちゃんと選ばれてぼくと一緒に北斗杯の選手の一人になると思う」

少なくともぼくはキミが勝つことを疑ったことなんか一度も無いよと言ったら進藤は黙った。

「キミはぼくのたった一人のライバルだもの。こんな所で負けたりなんかしない」
「こんな所って…」

微かに苦笑した気配があった。

「おまえって相変わらず、すげえ失礼大魔神なのな」

言い返そうとした瞬間、ホームに電車が滑り込んで来た。

再びの突風に髪が乱されて、思わず目を閉じる。

「……た」

ふと耳元で進藤が何かつぶやくように言ったのが聞こえた。

顔を上げると進藤は前を見ていていつもと何も変わらない。

でも確かに今、小さな声でつぶやかなかったか。

『来ちゃった』
『まだ来なくていいのに来ちまいやがった』と。

目の前でドアが開き、どっと人が降りて来る。その人たちを避けて、それから躊躇いつつも乗り込もうとしたら、いきなりぎゅっと手首を掴まれた。

「え?」

振り返ると進藤が思い詰めたような顔をしてぼくの手を握っている。

「何?」

どうしてと尋ねようとした瞬間にドアが閉まった。

ゆっくりと走り去っていく車両を見送ってから改めて進藤を見る。

「いいじゃん」

ぼそっと横を向いて進藤が言った。

「どうせおまえ暇なんだろ。だったら今のに乗らないでも、次の次の次ぐらいでも」

それくらい後の電車で帰ったって別に問題無いだろうと言われて、驚いて次に口元がほころんだ。

「でもキミは? 帰らなくてもかまわないのか?」
「別に―そんな急いで帰らなくても親もいつものことだって思っているし」

で、どうだよ。おまえは急いで帰りたいのかよと言われて、ぼくは微笑みながら彼に返した。

「別にぼくも――」

次の次の次の次の、そのまた次の次でも乗るのは全然構わないよと。

「おまえ、次が多すぎ」

進藤が笑い、ぼく達は顔を見合わせた。


冷たい風の吹くホーム。

それからぼくは進藤と、本当に久しぶりに笑い合うと、突っ立ったまま一時間以上、その場所で二人で過ごしたのだった。



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えーと、描写を一切入れられなかったですが、双方制服姿です。そういう絵面の話を書きたかったので。

例のアレ、碁会所に来ない宣言した後の話のつもりです。


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