SS‐DIARY

2011年04月27日(水) (SS)PRINCESS PRINCESS


そんなことがあるわけが無い。

あるわけが無いと言ってもなってしまっているのだから仕方が無い。

今この瞬間、塔矢アキラは人生で最大に困っていた。


「…有り得ない」

対局場には前にも後ろにもびっしりと人が集まり、じっと見つめられている中、あろうことか足が痺れてしまっていたからだ。

ひっきりなしにフラッシュが焚かれているのは、たった今アキラが挑戦者であるヒカルを負かして王座の地位を守ったからで、この後はすぐにインタビューや写真撮影、そして一呼吸置いて、再び並び直しての検討が待ち構えているはずだった。

(なのに)

ぴっちりと几帳面に揃えて正座したアキラの足は両方とも感覚が無いくらい痺れ、身動きすらままならなかった。

どうしてこんなことにと思う間もなく、「それじゃ、先に塔矢くんから感想を聞こうかな」と、何も知らない『週間碁』の古瀬村さんに、にこやかに尋ねられ、アキラは顔が引きつるのを感じながら、それでも当たり障りなく答えた。

「いつも苦しいですが、今回もずっと苦しかったですね」
「それは進藤くんが相手だから?」
「いえ、そういうわけではありませんが、でも彼は時に思いがけない手を打って来ますから」

一瞬たりとも気が抜けない。抜いたらそこに食らいつかれるからと、それは本当に心からの感想だった。

「今回も複雑で、最後まで難しくて…正直、まだ勝てたという実感がありません」
「挑戦者の進藤くんはどう?」

話とともにカメラも人の視線もヒカルの方に向いたのでアキラはほっとして少しだけ足をずらしてみた。でもその瞬間、思い切り後悔した。思わず呻きそうになるくらい激しい痺れが体の中をかけぬけたからだ。

「えー? 負けたおれにも聞くんですか?」

ヒカルは仏頂面のまま、それでも少しだけ緊張を解いた顔で喋っている。

ああ、負けて悔しいんだ。でもその不機嫌な顔もぼくは見るのが大好きなのに、悲しいかな今はその余裕が一ミリも無い。

「―って進藤くんは言っているけど塔矢くんは?」
「は?」

まるっきり聞いていなくて、思い切り間抜けな声をあげてしまった。

「あ…ええ、そうですね」

どうしよう、なんて答えようかと悩んでいるうちに、アキラの異変にたった一人だけ気がついた人間が居た。

進藤ヒカルだった。

ヒカルは後一歩という所で足りなくてアキラに負け、王座になれなくて怒り狂っていた。

愛しているけれど、負けたくはない。大好きだけれどいつだって勝ちたい。

そんな複雑な関係にある恋人を今この瞬間のヒカルは間違いなく憎んでいて、だから腹立たしさをこめて睨み付けたのに、いつもなら返るはずの冷たい視線が返って来なかったからだ。

それどころかアキラは上の空で、もぞもぞと落着かなく身をよじっている。

変だ。

こんなアキラは今まで一度も見たことが無い。

ヒカルの怒りは急速に萎み、代わりに不安に取り憑かれた。

(具合でも悪いんじゃないか、こいつ)

長い緊張を強いられる対局だったので体力、精神力共に相当削がれているはずだった。

実際アキラは以前にもヒカルとの対局の後に倒れたことがある。だから今回もそうなのではないかと思ってしまった。

「ちょっと待って」

再び水を向けられたアキラが絶句した瞬間、ヒカルは間違い無いと思って立ち上がった。

そしてアキラの側に寄ると、こそっと耳元に囁くようにして尋ねた。

「どうした? もしかして気分でも悪い?」

アキラは一瞬眉を寄せ、迷ったような表情を見せた。

「……ない」
「え?」
「…立てないんだ」
「はあ?」

蚊の無くような声で言われた言葉を理解した時、ヒカルは思わず大声を出してしまった。

「なにそれ」
「…足が痺れて身動きするのも辛いんだ!」

小さい声ながら、きっぱりはっきりとアキラは言った。

(嘘だろ?)

自分ならともかく、小さい頃から厳しく躾られているアキラは正座なんかへっちゃらだった。いつでもすっと綺麗な姿勢で背筋を伸ばし、何時間座っても正座を崩さない。

余程座り方が上手いのか、痺れたことなど無いのだと言う。

「助けてくれ、進藤」

すがりつくような目で見つめられてヒカルはこんな時なのにドキリとした。

こいつ、こういう時は泣きそうな子どもみたいな顔になるんだよな。
心細そうで頼りなくて、普段滅多に見られない「甘え」に近い表情になる。

「このままだとぼくは転ぶ、絶対に転ぶ」

どうにかしてくれと繰り返し言われて慌てて頷いた。

確かにこんな大勢の前で足の痺れで転んだら、いい笑いものになってしまう。それだけならばまだいいけれど、たった今戦った充実した一局さえ笑い話にされてしまうのは嫌なのだと、その気持ちはヒカルにもよく解った。

「大丈夫、なんとかする」

ヒカルはアキラに言い切ると、何事かと注視している皆を振り返った。

「えーと、あの、すみません。なんかこいつ具合が悪いみたいなんですけど」
「ええっ? 大丈夫、塔矢くん」

古瀬村さんが近付いて来ようとするのをさりげなく態度でヒカルは止めた。

「貧血かな? このままだとブッ倒れるかもしれないから、おれこいつのこと部屋に連れて行きますね」

検討は無し、インタビューと写真撮影は明日でもいいですねと、一応聞いている形ではあるけれど、その口調には有無を言わさないものがあった。

「あ、ああ。じゃあ誰か人を…」

呼びましょうかと言いかける人の声をヒカルは完全に無視してアキラに向き直った。

そして誰が何を言う間も与えず、腕をその体に回すと抱きかかえ、一気に持ち上げたのだった。

「しっ…進藤」

その場にいた全員が凍る。


お姫様抱っこ。


それは世間一般にそう呼ばれる抱き方だった。

「おっ、下ろしてくれっ!」

誰よりも仰天したのはアキラで、慌てて逃れようと藻掻いたが、ヒカルはそれを許さない。

「や、だっておまえ立てないんだろ? だったらこうして運ぶしか無いじゃん」

けろりと言うヒカルには、まったく悪気の欠片も無い。

「倉田さんや緒方センセーだったら重くて一人じゃ無理だけど、おまえ細くて薄くて軽いからな」

おれ一人で充分と、さり気なく失礼なことを言っている。

「つーことで、おれこいつを部屋に置いて来ますから」

これもまた決定事項、誰も文句をつけるなよなという雰囲気ありありで言ったものだから、部屋中の全員が頷いた。

「あ…はい。よろしくお願いします」


ふんふんと機嫌良く鼻歌を歌いながら、ヒカルはアキラを抱きかかえて対局場を後にした。

そしてそのまま廊下に出る。

老舗ホテルの別館はこの対局のために立ち入り禁止で人の姿は無かったが、本館に入った途端に従業員や一般の客の目がたくさんあって、そのいたたまれなさにアキラは赤面した。

「進藤、もういい。頼むから下ろしてくれ」
「ダーメ、おまえおれに頼んだんじゃん。『どうにかしてくれ』って」

まだ足は痺れているはずで、こんな所で下ろしても無様にコケるに決まってる。それが解っていて下ろせるかと言われ、ぐっと詰まった。

「だからってこんな…」

もっと他に方法は無かったのだろうか?

ヒカルは負けた時の不機嫌はどこへやら、上機嫌でアキラを抱いたままゆっくりとホテルの中を歩き回る。

「キミ…どうしてエレベーターを使わないんだっ」
「どうしてわざわざ遠回りをする!」
「今、部屋の前を通ったじゃないか、どうして通り過ぎるんだっ!」

アキラがどんなに文句を言っても聞く耳持たずで返事もしない。

「進藤っ! いい加減にしろっ」

たまりかねて、肩を叩いたらじっと見下ろされてきっぱりと言われた。

「大人しくしてねーと、おまえは貧血じゃなくて、足が痺れて立てなくなってたんだってバラすぞ」

天下の塔矢アキラ様が足の痺れで悶絶していたんだと言いふらされても構わないのかと言われてアキラは絶句した。

「ひ…卑怯」
「その卑怯者に頼んだおまえがバカなんだもーん」

まったくもってその通りだ。ヒカルになど助けを求めた自分がバカだったのだと、結局ホテル中をもれなくお姫様抱っこで連れ回されてアキラは悟った。

もう二度とすがるまい。今後一切何があっても絶対に進藤ヒカルにだけは助けを求めたりしないようにしよう。そう心に決めたものの、もしもまた同じ状況に陥ったら自分がヒカルを頼るのは解っていた。

(最低だ)

ヒカルが最低なら、そのヒカルしか信じ頼ることが出来ない自分もまた最低だとアキラは思った。

「いやー、おれ得しちゃったなあ。こんないい目見させて貰えるんだったら王座もそんなに惜しくないかも♪」

ヒカルはそんなアキラの心の内を知ってか知らずかご機嫌で、ようやく部屋に戻してベッドの上に下ろしてやってからも恥ずかしげもなく、正当な要求としてアキラにちゅーをしたりしたのだった。



その後、敗北した挑戦者であるヒカルが意気揚々とホルダーであるアキラを抱きかかえている写真が『週間碁』の一面や囲碁雑誌の表紙を飾った。

『結婚か?(笑)』
『世紀のカップル誕生?』

等々、笑うに笑えないふざけた見出しをつけられたアキラは、しばらくの間大のマスコミ嫌いになり、取材を一切受け付けなくなったのだった。


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やっぱりお姫様抱っこは鉄板ですよね!


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