時代の波というか何と言うか、一昔前はメールアドレスさえ持っていない者の方が多かったのに、今では棋士がホームページやブログを開設するのはごく当たり前のこととなった。
若手はもちろんだけれど、年配の棋士にもやっている者は多く、新し物好きの桑原先生などは最近ツイッターまで始めたらしい。
普段でもぶつぶつと呟いていることが多いこの囲碁界の重鎮は、わざわざ携帯をそれ用に打ちやすい物に変えて、ネットで毎日「つぶやいて」いるという。
「これが結構面白くて、つい見に行っちゃうんだよなぁ」
待ち合わせて会った駅前のカフェで、進藤は桑原先生のつぶやきをぼくに見せてくれた。
「今日は確か名古屋で対局だったよね? マメだね」 「『緒方くんと対局なう』とか書いてあるし」
色んな意味で尊敬するよと苦笑するように笑って閉じる。
「なあ…」 「ぼくはやらないよ」
彼が聞きかけた言葉を先回りして答える。
「呟きたいことなんか別に無いし、そんなことをしている時間があるなら別のことをしたいし」 「だよな。おまえらしい」 「キミはどうなんだ?」
つぶやかないのかと尋ねたら、一瞬目玉をぱちくりさせて、それから進藤はにっこりと笑った。
「だって面倒じゃん?」
携帯の機種をしょっちゅう変えて、パソコンだって持っているのに、意外にも進藤はブログも何もやっていないのだった。
「好きそうなのにね」 「んー、嫌いじゃないし、人のはよく見に行くけどさ」
自分ではやらないと人好きのする笑顔で言う。
「面倒臭いよ、一々やんの」
その時間があったら別なことをしたいと、さっきのぼくと同じことを言う。
「別のことって?」 「こうやっておまえと会うとかさ」
そして打ったり話したりとかと語る進藤はとても嬉しそうだった。
「つぶやいたりとか、そういうことしてる暇に直接おまえと話してる方がいい」
ずっとずっといいよと言って、ぼくの目の前のカップを見る。
先に待っていた彼のカップはもうとっくに空になっていて、でも遅れて来たぼくのカップにはまだラテが湯気をたてている。
「それ…まだ飲む?」 「そうだね、まだほとんど口をつけていないし、今日は少し肌寒いからゆっくり飲みたい所だけど…」
でもキミが出たいのならば別に飲まずに出てしまってもいいと答えた。
「じゃあ出ようぜ、時間が勿体無い」 「いいけど、何か時間を気にしなくちゃいけない予定なんかあったっけ?」 「無いよ。無いけどさ」
言ってからにやっと笑ってぼそりと言う。
「ホテルなう」 「なんだそれは?」 「そうしたいって言ってんの。ナマでたくさんおまえの耳に呟きたくなった」
愛の言葉ってやつをうんざりするほど聞かせてやるから、どこか手近なホテルに行こうと。
「嫌だったら別に、フツーのデートコースってヤツでも構わないけど?」
買い物して、メシ食って、それからおまえんちの碁会所に行っても構わないと。
「それも楽しそうだけどね」
折角の提案を断るのもバカだろうと言った言葉に進藤が笑った。
「おれ、おまえのそういう所好き」 「褒められている気はしないけれどね」
それでもうっかり気が変わって、彼が人の呟きに盗られてしまってはたまらない。
世界中の誰と繋がらなくても、ぼくは彼とは常に深く繋がっていたいから。
「どこにする?」 「どこでもいい」
存分に呟いてもらえるならと言った言葉にまた笑った。
「じゃあもういいな。そこらの路地でも」 「キミがいいならぼくはいいよ?」 「…ケダモノ」 「キミもね」
ツールでは無く、ナマの体で繋がりたい。
おれ達ホント、時代に逆行しているよなと言いながら進藤がぼくに手を差し伸べるので、ぼくは笑って手を取りながら「…だからいい…それがいいんだ」と返したのだった。
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