SS‐DIARY

2007年11月17日(土) 80000番キリリク「湖」


初めて行った時、一人で水の底に碁石を沈めた。


ホテルの窓からよく見えた、黒に近い程濃い色をした湖に、早朝、白と黒の碁石を一つずつ握って歩いて行って、縁から思い切り水切りをするように投げたのだ。

平らな石では無いので表面を跳ねることは無かったけれど、思っていたよりもずっと遠くにぽちゃっと音をたてて二つの碁石は沈んだ。


(どうかあいつと結ばれますように)


それはバカみたいに単純な願掛けのようなものだった。

ずっとずっと長い間「ライバル」で居続けて来たおれと塔矢の仲は、その頃ほんの少し微妙なものに変わって来ていて、でもそれをどちらからも壊すことが出来ずに居た。

絶対に相手も自分のことを「好き」なような気がしていて、でも確信も持てない。もし一歩間違えれば二度と話をすることも叶わなくなるという危険な賭の一歩を踏み出す勇気も持てないまま、塔矢には見合いの話が持ち上がり、おれにも告白してきて返事を迫る相手が現われた。

もしこのまま何もしなければ、おれはともかく塔矢は結婚してしまうかもしれない。おれにしても、ここではっきりさせなければ一生卑怯者の誹りを受けるだろう。

告白して来たのは幼なじみのあかりだったから―。


気がついていながら行動に移さなかった。曖昧なまま答えを先延ばしにしていたそのツケが一度に回って来たようだった。

(告白するんだ、帰ったら)

そしてあかりにも返事をする。

塔矢がどう答えたとしてもおれはあかりとは付き合わないつもりで、でも出来ることならばこの想いが成就することを祈って、湖に碁石を投げたのだった。

白い石はあいつ。
黒い石はおれ。

「もし、叶ったら絶対二人で報告に来るから」


お願い。
お願いだから。
どうか臆病者でバカなおれを応援して。



佐為は昔、入水して命を絶ったと聞いた。

それはこの湖では無かったはずだけれど、でも、どこかで繋がっているような気がしてそれで祈らずには居られなかったのだ。

おれの想いがどうか塔矢に伝わりますように――と。




それが2年前。

たまたま仕事で行っただけのその湖は観光で行くには少し遠すぎて、中々再び訪れる機会が無かった。



「ふうん……ここに……」

白く息が凍る寒い冬の湖を見つめ、塔矢は感慨深げに呟いた。

「ここにキミが碁石を沈めて願掛けをしたのか」

まったくらしくないなと少しだけ笑いを含んだその声は、でもからかうでなくとても優しい。

「いいじゃんか、あの時はすごく切羽詰まった気持ちだったし、神様にでも藁にでも何にでもすがりたかったんだよ」
「でも、どうして? 何かここは謂れでもあるのか?」
「あー…ええと、なんだっけな。確か縁結びにいいとか?」
「…ふうん」

それならそういうことにしておいてあげるよと静かに言って湖の遠くを見る。

「どの辺に沈めたんだ?」
「そんなに遠くじゃない。ここから投げて届くくらいの所」

あの辺かなとおぼろげな記憶で指さしたら、塔矢はコートのポケットから碁石を取り出して自分は白石を持ち、おれに黒石を渡して言った。

「投げようか?」
「え?」
「だって報告するって言ったんだろう」

湖にこの恋が成就したら報告するって誓って投げたんだろうと言われてこくりと頷いた。

「お礼参りだよ」

こういうことはきちんとしないとねと、言って言葉が終わらぬうちに腕を上げて碁石を遠く放り投げた。

ぽちゃりと沈むその波紋を見つめて悔しそうに言う。

「キミが投げた場所には届かなかったな」
「投げ方が違うんだよ。おれ上じゃなくて水面に水平になるように投げたから」
「そういうことは先に言え」
「言う前におまえが投げたんじゃんか!」

おまえって意外にせっかちなんだよなあと言ったら塔矢にじろりと睨まれてしまった。

「キミの方が『意外に』暢気なんだよ」

だからぼくは一度承諾した見合いを後から断らなくちゃいけなくなったと声には少し恨めしさが滲む。

「どこの世界に見合いの前日に告白して来るバカがいる?」
「ここに居る」

胸を張って言ったら思い切り頭を殴られた。

「今でもまだ覚えてる。夜、寝ようかと布団を敷いていたらいきなりキミが押しかけて来て…」


『おれ、おまえのこと好きだ。だから見合いなんかしないで!』


その声は先に休んでいた塔矢の両親にも当然聞こえ、それから大変な騒ぎになったのだった。

「…よくあれで許して貰えたものだと思うよ」

今思い返しても頭痛がすると本当に額を抑えながら塔矢は言った。

「今までさして面倒もかけなかった子どもがいきなりの裏切りだ。本当に親不孝なことをしてしまった」
「でも許して貰えたじゃん」
「…随分かかったけれどね」

見つめ合い、それから笑ってキスをしようとしたら塔矢に止められた。

「まだキミは投げていないだろう」
「あっ、忘れてた」
「ぼくはもう投げた。投げて報告した。だからキミもきちんと報告するんだ」

この湖の底に居るかもしれない誰かにねと言われて少しドキリとした。

「うん―――――報告する」

ありがとう。
ありがとう。
おれの願いは叶ったから、だからもし出来るならば、いつかまたおれに―おれ達に会いに来て。

言葉にはせず心の中で呟きながらおれは大きく腕を振り上げると塔矢が投げて白石を沈めた側を狙った。

加減をして飛びすぎず、けれど勢いを殺さぬように投げて黒石を沈める。

ぽちゃっと小さな水音がしてほぼ同じ場所に碁石が沈むのを見つめた後、おれ達は無言で抱きしめ合うと微笑んで幸せなキスをしたのだった。


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ちとせのひよこ様からのキリ番80000番のリクエスト、『湖』でした。
本当は『洞爺湖』というご指定だったのですが行ったことが無い場所の嘘は書けないなあと申し訳ないことながら第二希望の『湖』で書かせていただきました。

何故か湖と聞いた時に一番最初にそこに碁石を沈めるヒカルが浮かんだんですよね。

イメージされたものと近いものだったでしょうか?それとも全く違っていたでしょうか?少しでも気に入っていただけたなら良いのですが。

素敵なリクをありがとうございました。


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