SS‐DIARY

2007年03月12日(月) 20000番キリリク「女装」

以前取材で知り合ったメイクの人に頼んで洋服一式を見繕ってもらい、ついでに顔も作ってもらった。


「元がこんなに綺麗なんだから何もしなくてもいいようなものだけど」

でもどうせなら別人に見えるくらい派手にしてもいいわねと、ぼくの言った飲み会の余興という言葉を鵜呑みにしている彼女は、楽しそうに言うと目を際だたせ、頬に淡い紅を刷いた。


「ウイッグはどうする?」
「どうでも…ぼくはよくわからないので」

良いと思うものにしてくださいと言ったら彼女はかなり明るめの栗色のロングのウイッグを手に取った。

「長い黒髪ってのが一番塔矢くんには合うと思うんだけど、たまにはこういうのもいいかもしれないわねぇ」

見違えちゃうわよと言う言葉通り、鏡の中の顔はどんどん見知らぬものに変わり、体型が目立たないデザインの空色のスーツに着替えたら、多少体格はいいものの、そこに居るのはぼくでは無くて、知らない、会ったことも無い女性になっていた。



「うーん、会心の作!」

これで街を歩いても余程ドスの効いた声で喋りさえしない限り誰にも男だってわからないわよと太鼓判を押され、苦笑しつつ礼を言った。

「ありがとうございます。これでなんとか大役を果たせそうです」
「いいけど、一体どんな余興やるの? 出来れば私も一緒に行って反応を見たい所なんだけどなあ」
「すみません、本当に内輪での集まりなので…」


でもメイクはあなたにしてもらったのだと宣伝しておきますからと言ってメイク料にかなり色をつけて渡したらそれ以上は深く聞かれなかった。

「もうこんなことを頼むことは無いと思いますが、何かの時には絶対にあなたのお店に頼むことにします」
「頼むわよ、こっちは女の細腕一本で商売してるんだから」

言ってくれればいつでも一式持って伺うからと、そして行く道々に何人にナンパされたかを後で教えることを条件にしてぼくは彼女の店を出たのだった。



姿を変えてぼくが向かったのは六本木にある居酒屋風のダイニングバーだった。

和食系の創作料理が楽しめるというその店で、今日は若手の飲み会が開かれているはずで、正確にはコンパのようなものらしいそれには男6人に短大生の女の子6人が参加していた。

そしてその男6人の中には進藤も混ざっているのだった。



「ごめん、今日飲み会あるから帰り遅くなる」

友人の多い彼は元々よくそう言って飲みに行くことが多かったのだけれど、最近それはとみに多くなり、それと共に彼の携帯には囲碁にはなんの関係も無い女性からの電話がかかってくることが多くなった。

飲み友達と、進藤は別になんでもないよと言ったけれど、ある時ふと不安に駆られて見た彼の携帯にはかなり親しげな女性からのメールがたくさん入っていて、中には飲み会の最中に撮ったのだろう見知らぬ女性と彼がキスをしている写真もあった。

酔ってのことだし本気では無い。

そう自分に言い聞かせたけれど、それでも腹の底から沸き上がってくる怒りは押さえられなかった。

だってぼくと彼は恋人としてもう一年以上前から同棲をしていたからだ。

そのぼくが居るのに不特定多数の女性と遊び歩いている。あまつさえキスまでしているのだとしたらそれは許せる範疇を越えていた。

余程問い質してやろうかと思い、けれど携帯を盗み見てしまった後ろめたさからそれも出来ず悶々とした日々をぼくは過ごすことになった。

もちろんその間も進藤はぼくに非常に優しかったし、求める時も本気で求めているのはわかった。本気でぼくに欲情し、本気でぼくを愛している。

なのにどうして女性と遊ぶのか、それがどうしてもぼくにはわからない。


どんなに愛し合っていても男と女ではやはり違う。

その違っていて満たされない部分を女性と遊ぶことで満たしているのかと思ったら納得は出来なくも無いが情けなくて死にそうになってしまった。


(もし一時的なものなら問いつめないで許す)

けれどこのままいつまでも浮気未満を続けるようならこちらにも考えがあると、そう思った時に彼はまた飲み会があるとぼくに言ったのだった。


「また? 今度は誰と飲むんだ?」
「えー…、門脇さんとかあそこらへんのいつものメンバーだよ」

あまりいつもは追求しないぼくが突っ込んだことを聞いたので進藤は少し驚いたようだった。

「どこで飲むんだ?」
「…新宿。なに? もしかして疑ってるん?」
「いや、ただこの頃飲みに行くことが多いなって」
「しないって、おれ絶対浮気なんかしてないから安心して」

そしてあやすようにぼくを抱き寄せると甘いキスを何度も繰り返した。

「なるべく早く帰ってくるから」
「いいよ別にゆっくりしてきて」

ただ、手合いに響く程は飲んでくるなと言うぼくにだめ押しのようにキスをして、それから進藤は機嫌良く出かけて行ったのだった。

「何が安心して…だ」

まだ残る唇の感触に甘痛いものを感じながら、ぼくは二箇所に電話をかけた。

一箇所は最近研究会でよく顔を合わせるようになった年下の棋士で、彼が進藤とよく飲みに行っていることを知っていたからだ。

「こんにちは、ああ…うん。今日は六本木? そう。いや、今さっき進藤が出て行ったんだけど携帯を忘れて行ったみたいだから届けた方がいいかと思って。別に無くても大丈夫かな? むしろ無い方が好都合って? そう…彼がそう言っていたんだ。うん、わかった。それじゃ届けないけど、忘れたことを知られるのは嫌がると思うから、ぼくが電話したことは黙っていて」

電話を切ってすぐにもう一箇所に電話する。それは個人で店を持っているメイクアップアーティストで、まだ駆けだしなのでいつも暇なのだと言っていた。

案の定かけたら今日も予約は入っていないらしく、今からでもいつでもすぐにメイク出来ると言う。

「そうですか、実は今日若手で飲み会があるんですけれど、余興をやらなくちゃならなくなって」

女装して行かなければならないのだけれど何とかしてもらえないかと言ったら、受話器の向こうで相手は密かに笑った後『来たらすぐにやってあげる』と言ってくれた。

「それじゃ……ええ、着る物も全部お願いします」

とびっきりの美女にしてあげるからという言葉に半ば本気でよろしくお願いしますと答えて、ぼくは家を出たのだった。





メイクに三時間、六本木まで三十分。化けるのに思っていたよりも時間を費やしてしまったので、もしや場所を移しているかと不安だった。

けれど目的の店に着き、入ってすぐに奥の方に見慣れた顔が何人か見えてほっとした。

かなり出来上がってきているらしい赤ら顔の面々の中、進藤の隣には若い女性がぴったりと体を寄せて座っていて、それを見た途端体中の血が燃えたような気持ちになった。

(やっぱり…また…)

寄って来た店員にあそこの客と一緒だからと手で示して追払うと、まっすぐに彼らの方に歩く。

「進藤さんて…付き合っている人とかいないんですかぁ?」

騒がしい店内、ゆっくりと近づいて行くと唐突に彼の隣に居る女の声が耳に入った。

「えー? 何? なんで?」
「いないなら私、立候補しちゃおうかなって」

良かったらこの後二人だけで飲みませんかと誘っている彼女に進藤がまんざらでも無い顔で「いいけど」と答えたのを聞いた瞬間、頭の中で何かがぷつりと音をたてて切れた。

「進藤ヒカルっ!」

怒鳴りつけたぼくの声に進藤は驚いたように顔を上げ、一瞬きょとんとした顔になった。

ぱっと見わからなかったらしく、知らない人を見るような目でぼくを見つめた後ではっとしたように顔色が変る。

「って……嘘、なんでと……」

塔矢と進藤の口がぼくの名前を言う前にぼくは持っていたバッグで進藤の横っ面を思い切り殴りつけた。

「この浮気者!」
「わっ」

バシッとかなり派手な音がして体が仰け反るのを容赦なく何度も殴りつける。

「よくもいつも嘘ばっかり!」

ビシッ、バシっとぼくが彼を殴る音は店中に響き渡り、けれど店員も、彼と一緒に飲んでいる皆も凍り付いたように見つめているばかりで身動き一つしない。

「すげ…」

どこかでそんなつぶやきが聞こえるくらいぼくは情け容赦無く彼を打ち続け、そしてバッグの柄が取れた所で最後に一発、彼の顔面に壊れたバッグを叩き付けた。

「もう…どうでも好きにしろ!」

捨てぜりふのように言うと踵を返して、ぼくは店の出口に向かった。

しんと静まりかえってしまった店の中、誰もぼくを止める者はいず、ただひそひそと囁き声だけが波のように広がっていった。

(ざまをみろ)

店を出て雑踏の中に紛れても、まだぼくの手は震えていた。

怒りのまま進藤を殴り続けたその興奮が抜けないらしく、気が付けば足も細かく震えていた。

殴りつけた時の進藤の驚愕したような顔を思い出していい気味だと思い、思いながら同時に泣き出しそうになってしまった。

彼はやはり浮気者だった。

どうしようも無く軽薄で恋人としての誠意の欠片も無い嘘つきだったのだと思うと、わかっていたこととはいえ心が引き裂かれそうに痛んだ。

「もう……なんだってこんな…」

ぼくはこんなみっともないことをしなければならなかったんだろうか?


道に沿って続く賑やかな店のショーウインドーには自分の姿が映っていて、髪はかなり乱れていたものの、それはやはりまだ男では無く女に見えた。

これでもう当分、進藤をコンパに誘う者はいないだろう。

誘ったとしても嫉妬深い恋人が乱入して来た「事件」は棋士仲間にいつまでも語り継がれ、引かれることは間違い無い。

「いい気味だ…」

今頃残された進藤がいたたまれない思いをしているだろうと思うと胸が空くようだった。

あの女は誰なのだと問いつめられ、雰囲気を壊したと冷たい視線を浴びているだろう。

(少なくともあの女は別の男に乗換えただろうな)

どこの世界にやっかい事を抱えた男を好きになる女が居るだろうか。ましてや楽しく遊びたいと思っているなら尚更。

「一人で寂しく飲めばいいんだ」

最年少本因坊だの、若手人気ナンバーワンだのちやほやとされることなく冷たい空気の中で一人不味い酒を飲めばいい。

ぼくにこんなことまでさせたのだから当然の報いだと思った時、聞き覚えのある声が後ろから追いかけて来た。

「塔矢!」

待てってば塔矢と、振り返ると人混みをかき分けるようにして進藤が走って来るのが見えた。

「おまえ、待てってば」

呆気にとられているうちに追いつかれ、逃げる間も無く手首をしっかりと掴まれてしまった。

「おまえさぁ、なんでこんな――」
「キミが悪いんだろう」

無理にふりきって逃げてしまおうかと思い、けれど気が変った。

あのまま情けなく殴られたままになっていればいいものをわざわざ追いかけて来たのだから文句の一つ二つ言ってやったってかまわないだろうと思ったのだ。

「え?」
「嘘ばかりついて、ぼくの知らない所で女性と遊んで」

一緒に住んでいるのに、恋人同士なのにこんなに浮気ばかりされたら、いくらぼくでも堪忍袋の緒が切れると言ったら進藤は驚いたような顔をした。

「もしかしておまえ焼き餅…妬いたん?」
「当たり前だ! キミの携帯のあのメールはなんだ、あの写真も今日のことだって」

そんなにもぼくに不満があるならそう言って別れて好きなようにすればいいじゃないかと、つい大声で怒鳴ってしまったら周囲を歩く何人かが驚いたように振り返った。

痴話げんかだよとちらり見る好奇の目さえ、でももうぼくは気にならなかった。

「おまえ……‥見たんだ‥おれの携帯」
「見たよ! 見て悪いか」

ずっとずっと帰りが遅くて放りっぱなしで、挙げ句の果てには知らない女から何人も電話がかかってくる。それでどうして見ずに居られると言ったら進藤は気まずそうにぎゅっと唇を噛んだ。

「だって‥おれは‥‥おまえがおれのことなんかあんまり好きじゃないんじゃないかって‥」
「なんでそんなこと!」
「一緒に居ても素っ気ないし、好き…とかあんまり言ってくんないし」
「だから? だから寂しくて浮気したって?」

思わず睨み付けると進藤は更にキツく唇を噛んで、それからため息のように言った。

「そう…じゃないけど…そうかも。おまえが少しは妬いてくんないかなって。少しはおれのこと惜しく思ってくんないかなって」

おれのことでおまえが取り乱すのを見たかったんだと言われて一瞬殺してやろうかと思ってしまった。

「だからって、浮気なんかしていいと思ったのか。ぼくがどれだけ傷つくかとかそういうことは考えなかったのか!」
「だっておまえ、家に女から電話かかって来ても全然平気だったし…」
「平気じゃないからこんな格好までして殴りに行ったんだろう!」

これでもうキミにちょっかいをかけてくる物好きな女はいなくなる。そのためだけにこんなみっともない格好までしたんだと怒鳴りつけるのと同時に涙がこぼれ落ちた。

「ぼくはずっと取り乱していた。キミを奪われまいと必死だったよ」

なのにどうしてキミにはそれがわからないんだと、子どものようにしゃくりあげながら言ったら進藤はぎゅっとぼくを抱きしめた。

「ごめん、ほんとごめん。もう絶対にしないから許して」
「信じられるかそんなこと」
「本当にしない。もう飲みにも行かない。おまえだけを大事にするから」

殴りに来てくれて嬉しかった。あんな嬉しかったことは生まれてから二番目くらいだったと、その声に嘘は無いように思えて、でもぼくは思わず聞いてしまった。

「…一番目はなんだ?」
「え?」
「生まれて来てから一番目に嬉しかったことはなんなんだ」
「そんなん…おまえがおれのこと好きって言ってくれた時に決まってんだろ!」

あれ程幸せなことは無かったと、更に強く抱く腕に力を込めるので、ぼくはそれ以上意地を張ることも出来ずとうとう許してしまった。

どうしても絶対許せないと思った彼をただその一言で許してしまったのだ。

「だったら…もう絶対に浮気はするな」
「うん」
「したら今度はキミを殺すよ」
「いいよ殺しても」

殺されるくらいおまえに愛されてるんだとしたらおれはきっと幸せだからと、その言葉を聞いた時にああもう仕方無いと思った。

だってぼくもその言葉に幸せだと思ってしまったから。

割れ鍋に綴じ蓋。

たぶんぼく達はもしかしなくてもこれ以上無いくらい似合いの恋人同士なのかもしれなかった。

これ以上無いくらい馬鹿な―恋人同士なんだろう。

「好きだよ」
「…うん」
「悔しいけどキミが好きだ」
「うん、おれもおまえ大好き」

その口でまたいつかぼくを裏切ることがあるのかもしれないけれど、それでもこうして抱かれているのが嬉しくてたまらないのだから仕方がない。

「本当にこんな……みっともない…」

みっともなくても好きなのだから――。


そして……居酒屋だけの騒ぎでは無く、街中での痴話げんかもぼく達はばっちり見られていたようで、ぼくの思惑通り進藤は女に汚いと評判がたち、彼を飲み会に誘う者は以後一人も居なくなったのだった。



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20000のキリ番を踏んでくださっためるじさんからのリクエストの「女装」でした。めるじさんからは他にも何種類か素敵なリクを頂いていまして、どれにしようか散々迷って、でもぱっと脳裏に浮かんだのが女装してヒカルを殴りに行くアキラだったのでこれにしました。

アキラ自身は「みっともない」「気持ち悪い」と思っていた女装ですが正体がばれることも無く、進藤にはおっかないけどすげえ美人の彼女が居るという噂が碁界に流れたのでした。

めるじさん素敵なリクをありがとうございました。かなり楽しく書きました〜。でもめるじさんのイメージしていたものとは違っていたかも(−−;
ごめんなさい。

それでもって今回もう一つのリクも、どうしても書きたくなってしまって書いてしまいました。「痺れ薬」そっちは裏にアップしてありますのでよろしければそれも読んでやってください。


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