SS‐DIARY

2005年07月20日(水) (SS)越智の覚え書き


「うーっす」と声をかけられて同時に背中を叩かれた。

棋院に向かう上り坂、振り向くと立っていたのは進藤で、朝から何が嬉しいのか、にこにことしまらない顔で笑っている。

「なんだよ、おまえ早いんじゃん」
「別に……ぼくはいつもこの時間だけど」

君の方こそ意外に早いんですねと嫌味半分言ってみると、進藤はそれには気がつかない様子で辺りを落ち着き無く見回している。

「……誰か、探してるの?」
「あ、いや。なんか他に誰もいねーなあって」

それはそうだろう。手合いの三十分前に来るのなんかぼくくらいのものだ。進藤だっていつもは開始5分前くらいに駆け込んでくるのが常なのに、今日は一体どういう風の吹き回しだと思う。


「ま…なに?心境の変化っつーの? 早く来るのって気持ちがいいよなあ」
「ぼくはいつもと変わりませんけど」


せいぜい5分くらいの上り坂はすぐに登り切ってしまう。朝からうるさい進藤とくだらない世間話を続けなくて済むと、ほっとした気持ちで棋院の中に入ると、驚いたことにエレベーターのすぐ側で塔矢が立っていたのだった。

塔矢も他の誰よりも早く来るけれど、流石に三十分前には来ることは無い。なのにそれが人待ち顔で立っていて、しかもぼくたちが入ってくるのを認めると、ぱっと嬉しそうな顔になったのだった。

「おはようございます」
「…おはよう」

一瞬で拭ったように消えたけれど、塔矢のこんな顔を見るのは初めてで、正直非道く驚いた。


どっちだ?

ぼくと進藤のどっちを見て塔矢は今の表情になったのだろうか。




考えるまでもなく、それはたぶん進藤で、見れば進藤などはしっぽを振った犬のような顔で塔矢の側に近づいて行った。


「…はよっ」

さっきぼくにしたのとはうってかわって控えめな、らしくない挨拶をする。

「…おはよう」

返す塔矢も丁寧なのはいつもと変わらないながら、どこか微妙に照れくさそうな雰囲気があった。

「あのさ…昨日、大丈夫だった?」
「…うん」

ぼくが側に居るということを一瞬で忘れたらしい二人は、こちらに背を向けてぼそぼそと話をしている。

「今朝、電話しようかと思ったんだけど」
「いや、少し響きはしたけど…でも、立てないほどでは無かったから」


一体何の話をしているのかと、思った時にようやくぼくの存在を思い出したらしい。二人が振り返り、同時に口を閉ざした。


「…エレベーター、乗らないんですか?」
「あ、乗る。乗る乗るっ」
「ごめん、越智くん」


慌てたように乗り込む二人の後に続いてぼくも乗った。

六階のボタンを押してドアが閉まった後、エレベーターの中は妙な沈黙で満たされた。


こほんと、小さく咳き込む音が響いてしまうくらい、小さな箱の中は無音だった。


「あれ?もしかして塔矢風邪ひいてる?」
「あ…いや、そういうわけじゃないけど。今朝起きた時から喉がかすれたようになってしまって」

唐突に進藤が口を開き、それにぽつと塔矢が答える。

「やっぱあれかな。体冷やしたから…」
「あ……そうじゃないよ。声を―」

声を出しすぎてしまったからと消え入りそうな小さな声で塔矢が言って、言ったと思ったら進藤が何故か真っ赤になった。

「あ、そ………そ、そっか。そうだよな。おれ、あんなにおまえに名前呼ばれたの初めて…」

かーっと音がするくらい赤く染まる顔というのはなんだ?


「ぼくだって…キミにあんなに名前を呼ばれたのは……初めてだ」


そう返す、塔矢の顔もこれまた音がするくらい見事に赤く染まった。


「あ、あのさ」

進藤が言いかけて躊躇うのがわかる。


「座るの…平気かな?…キツくない?」
「うん…正座じゃないし」

さっきから続いているこの微妙な会話はなんなんだろう。そして何故にこんなにも居たたまれないような気持ちにさせられるんだろう。



「えっ…と」

まだ何かを話しかけようとしたらしい進藤の声はエレベーターが止ったことで断ち切られた。


「…六階ですよ」

正直ほっとしながら促すと、二人はぎこちなくエレベーターから降りた。


もともと塔矢も進藤も互いのことしか見ていないような所があるから、この完全無視状態も別段気にはならなかったが、漂っているこの妙な空気は気になって仕方無かった。


「あの…」


昨日、あなた方二人、何かあったんですかとあまりの空気の違和感に耐えかねて尋ねようとした時に、進藤がいきなり振り返りトイレに向かって歩き出した。


来ていきなりトイレに行くなんてあまりにも変だ。けれどもっと変なことには塔矢もその後についていくのだった。


朝から、男同士で仲良く連れション。


変だ。あまりにも変だと思った時にぼくは進藤と塔矢が手を繋いでいるのにきがついてしまった。


手を繋いで、朝から男同士で仲良く連れション。



あり得ない。そんなことは絶対にあり得ない。


ということで、ぼくはそれを見なかったことにしたし、それから随分長い間進藤と塔矢が戻って来ないことにも気がつかないふりをすることにしたのだった。



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うらぷちみたいな話ですが、敢えてこちらへ。

「はじめて」の翌日が手合い日だったと(笑)まだほんとにお初だったので、そのまま泊るようなことはしていません。ヒカルはアキラの体のことを心配しつつ家に。それでもってアキラはしんどい体に耐えながら、でも幸せに眠ったと。

そーゆーことです。頭の中はいつにも増してお互いのことしか入ってません。居合わせた人はとても不幸かもです(笑)


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