交通事故に遭ったあかりの母親は、まだ手術室から帰っては来なかった。 泣き疲れて眠ってしまったあかりに上着をかけてやると、おれは起こさないようにそっと一人、その場を離れて一階の待合室に降りて行った。
非常灯がついただけの待合室。自動販売機に金を入れて、コーヒーを買った。
「…寒ぃ」
静かで静かで静かで、こんなに静かだと誰も生きている者はいないのではないかと縁起の悪いことを思ってしまう。
「おれって…本当になんにもできないんだな」
さっきまで泣いていたあかりの顔を思い出してつぶやく。
「塔矢のことだってずっと忘れていて…おれ…。あいつはずっとおれのこと待っていてくれたのに」
再会しても傷つけることしか出来なかった。
「おれになんか会わなければよかったんだ。あいつ。会ったって悲しい思いしかさせることができなかったんだから。会わないほうがきっと」
あいつ幸せだったと、そこまで考えた時、ふいに耳元で声がした。
「そんなことないよ」 「塔矢っ」
振り返った先には、少し照れくさそうに笑って塔矢が立っていた。
「キミに出会えたから、ぼくは救われたし、キミがいない間も幸せな気持ちで待つことができた。いつかまた会える。それはぼくに生きる気力と目標をくれたんだよ」
「だって、そんな」
じいちゃんの見舞いでふらりと行った病院。 そこでたった数回、碁を打っただけなのに。
「あの頃のぼくは病気を抱えて、同じ年頃の友達もいず、孤独で…孤独で潰されてしまいそうだった」
それを救ってくれたのがキミだったんだよとそう言って塔矢は静かに笑った。
「なのにおれ、そんなお前を裏切ったんだ」
「また打とうね」そう約束したのに、おれは夏休みに入ってしまって目先の楽しいことに気を奪われてあいつのことを忘れた。
秋になり、久しぶりに訪ねた病院で、でもあいつの病室には違うヤツが眠っていて…。 『あの子はどうしたの?』そう言った時に看護師は「ああ」と口をにごした。
「辛かった。辛かった。あんなふうに急におまえが死んでいなくなっゃうなんて、おれは思いもしなかったから。だから―」
今日の続きはいつも明日で。だからいつでもまたおまえに会えると思っていた。
「…進藤」
ぎゅっと塔矢がしがみついてきて、おれは持っていたコーヒーを床に落とした。 ほとんど口もつけていないそれがリノリウムの床を汚すのを見つめながら、ふいにたまらなくなって吠えるように泣いてしまった。
「なのにおれ、7年間もそのことを忘れてたんだ。おまえは生きている時と同じに、ずっとおれのこと待ってたのに。なんでおれ―どうして―」
記憶を封印してしまったんだろう。辛すぎて、辛すぎて、塔矢がこの世にいないということが辛すぎて覚えていることができなかったのかもしれない。
「進藤、大好き」
ずっとキミが好きだったよ。そうおれにしがみついたまま塔矢は言った。
「おじいさんのお見舞いに来るキミのことをずっと見てた。キミはいつでも元気がよくてお日様みたいで。キミと…話してみたいってずっと」 「おれだっておまえのことずっと―」
塔矢は顔を上げると、おれが言いかけた言葉を指で塞いだ。
「なんでも願いごとを叶えてくれるって言ったよね」 「あ…ああ」 「じゃあ最後に一つだけ言ってもいいかな」 「最後って!」
塔矢はおれの顔をじっと見つめると、ふいにくしゃっと泣きそうな顔になって言った。
「ぼくのことを忘れて」 「と―」 「出会った時から今までのこと、全部忘れてしまって。キミとぼくは最初から出会わなかったって―」
それがぼくがキミに願う、たった一つのの願いごとだよと、そう言って塔矢はおれの目の前からかき消すようにいなくなってしまった。
「塔矢っ、塔矢ぁ」
泣いても泣いてもあいつはもう帰っては来ない。
一人上の階にもどったおれは、手術室の明かりが消えていることに気がついた。
「ヒカル…お母さんが」
あかりの母親が助かったと。そう聞かされながら、あいつが助けてくれたのだとそう―思った。
―end
と、すみません。ゲームとアニメにもなった「カノン」のパロです。かなり変わってしまっています。 絵はあんまり好きじゃなかったですが、いい話でした。 あれ見ると鯛焼き食べたくなるよね。
今日、後ろでダンナが久しぶりにずーっとアニメの「カノン」を見ていたので、ついこんなもんを書いてしまいました。
で、ご心配もしくは心痛めている方のために。あーでも「カノン」をやる予定、もしくは見る予定がある人はネタバレになるので見ないでね。
↓
死んでしまったものと思われたアキラは、実は植物人間になって7年間、同じこの病院に入院していたのです。で、それを偶然知ったあかりちゃんがヒカルに教えてあげて、ヒカルとアキラは再会し、アキラは意識を取り戻して二人は恋人同士になるんです。(いや、マジでそういう話しなんですよ「カノン」)なのでご心配なく〜。
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