休薬週間をおいての投薬は、ずしんときました。 先週末からのワルシャワ期は、野生の動物のように じっとうずくまってすごしました。 ほとんど氷菓と西瓜と冷たい飲み物で乗りきったせいで、 昨晩久しぶりに鏡でじっくり自分の顔をみたら目の下がまっくろ。 ものすごい隅で、 (これは熟睡できなくて1時間おきにウトウト眠ったり起きたりしていたせいもある)
死相がでている! もうだめだ!
とこれまた久しぶりに涙がでてきたものでした。
うん まだキレイだ 大丈夫だ
と鏡で確認するのは結構パワーになるものなのです。 女だからね。
今晩 隅はましになりました。 身体もだいぶ楽になりました。 会社もいけるくらいなんだけど今日は休んでしまった。 気持ちが萎えてまだいろんなことに立ち向かう気になれない。 もうすこし、眠って起きて どうでもいい本を読んで、 かわいい愛しいインコさんの戯れを眺めていたい。
痛みがあるときはひとに優しくなれず、母にもひどい振る舞いをしてしまった。 これも萎え萎えの原因のひとつ。
しかーし、 じっと丸くなっているあいだ、 この時間て無駄だよな 寿命の時間つぶしをしているだけみたい 何もしてないし、我慢しているだけだし だいいちなにかしたいって気持ちがおこらないし、 これは生きてても意味がないよね、 これからどのくらいこういう無駄な時間を生きるのかな、 ぎゅっと凝縮して短縮してくんないかな 無理だけど。
とまあ こんなことばかり考えていたのですが、 その間も這うようにしてコンビニにいったりしている。 またもうすこし我慢すれば薬が抜けてましになることも実は分かっているわけです。
で、なにもしていない丸まっている生に意味はないのか 意味がないことは価値がないのか 価値があることに意味はあるのか なにかしている 意味のある生を過ごしていると思っていた健康な時間も、 食って寝て排泄して それをいかに快適にするか 以外は いかに楽しく意味ありげに時間をつぶすか だけのことではないか いまはその 快適 楽しさ がないだけのことではないか
自分だけの問題であれば 生は 食って寝て排泄して繁殖して 生き物として劣化するまでその繰り返しであると、 ほんとうは元気なときだってそのことはわかっていた。 ただ人間はあまりに長い余剰時間と、肥大した脳を満足させるだけの刺激が必要で、病んでうずくまっている状態でも脳はその刺激をもとめてやまない。 こんなことを今ぐるぐると考えているのがなによりの証拠だ。 だから他者が必要なんだ。 たとえバーチャルでも自分とは別のことを考え別のことをしている他者。 うずくまって丸くなって他者と遠く隔絶しているとき、 自分の内側が他者をもとめていることを感じる。 逆に自分以外はみな他であるという意識。 元気で他と社会での交わりがあるとき、 自分が集合体の一部で時にそこから隔絶したいと感じる。 個として独立してありたいと。 またできれば他者に影響をあたえる存在でありたいと。
傲慢であった。 感情と刺激もごっちゃにしていた。
ただ まだ面白がれる。 だからまだ自分には時間があると思う。
読み返し手をいれるには気力がいる。 後半はですますでもなくなってるけどもういいや。
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