痒痛 ☆ 日記 
お酒と音楽と変人と。菫色の日々。

2010年05月02日(日)  長いお別れ

今日はお別れの会に行ってきました。
年代がどんなにあがっても逆縁ははたから見てもつらいものです。
今日も年老いたお父様が、棺の中の息子の顔をずっと見ていた情景が忘れられません。
でもそれは誰にもどうしようもないことです。

突然のお別れだったので、直前のいろいろな話を今日やっと詳しく聞くことができました。
今回 その方はこの数日で 長く顔をあわせなかった、友人 同級生 師 と会いたいと それぞれ杯をかわし 体の調子を尋ねあい そうして倒れたそうです。
よく聞く話しです。
偶然でありましょうか。
でも 『むしのしらせ』 という言葉があるということは、大昔から人々はそういうことは度々あると経験から知っていたのでしょう。

私事ですが、十数年前 無二の親友が治らない病気になりました。
どんどん自らままならなくなる病状が進む中、ある時ご家族から 
もう少しよくなるまで面会は遠慮して欲しい と言われました。
私は彼女はもう よくならない と分かっていました。
そしてそれはご家族もわかっていたと思います。
それでも本人の尊厳を守ろうとし そして家族だけでも奇跡を信じなくては、
とそういうことを言われたのだと思います。
私も まだ若く その奇跡を信じる言葉にすがりたかった。
そして、どんなに絆が深くても 友人と家族では踏み込める境界は違います。
ご家族の気持ちを踏みにじってそれでも、と言い張る勇気はなかったし、
当時から年齢を重ねてみて それでよかったのだと今は思います。
会えない間 奇跡を信じられない私は、逆にオカルティックなことを散々試してみたり
同じこの国にいて悪い知らせが来るのが怖くて外国に逃げたりしていました。
それがある時、あることをきっかけに
このままでは間に合わない と確信する日がきたのです。
きっかけはここでは書きません。
ただ大きな怒りとともに なにを踏みにじってでも という気持ちになったのです。
そうして私は数ヶ月ぶりに病院へ行きました。
もう自力では瞬きもできない親友がそこに横たわっていました。
まだ聴力は生きているからと、なにごとか面会の時間ぎりぎりまで耳元で語りかけました。
最後に 明日またくるから と病院をあとにしました。
翌日 私が病室について少したって急変があり、彼女は脳死を宣告されました。
私は 間に合ったのでしょうか。
ひとはそう言ってくれました。
私を待っていてくれたのだと。
言葉が発せられなくなってから使っていた彼女の五十音のメッセージボードには、
最後にあった彼女の息子の名前の一つ前に 私の名前とおぼしき文字がありました。
待っていてくれたんだろうか。
確信はありません。
でも、その後も私は毎日病室に通いました。
半分ニートだった当事の私は、面会時間の始まりから泊り込む彼女のパートナーにバトンタッチする午後八時まで 数十日毎日彼女のそばにいました。
少し異常と思われたかもしれません。
それでも 間に合わない と感じた日に抱いた怒りと確信が たとえご家族に迷惑と思われたとしてもかまわない、と毎日病院に足を運ばせました。
その数十日間の最後の数日 今でも私をして 脳死は人の死ではない と断言させるできごとがあり、
私は彼女と二人きりで親友同士 最後の会話を交わすことができたのです。

それがあったから私は短い時間で 絶望 後悔 恨み 孤独 から立ち上がることができました。
あれから月日がたち日々 彼女のことを思い出す回数は減っても、
それでも心から寂しいとき 病と死への恐怖に震えが止まらなかったとき 世界の美しさと生きることの喜びに改めて感動したとき
親友が私のそばに寄り添っていてくれることを感じます。
閉じた瞼の裏にその姿が蘇ります。
それが私の願望でもかまわない。
目に見えず触ることもできない けれども大丈夫だと思える。
それは誰にでもない 私にとって 救いであり祝福です。

『むしのしらせ』をどう解釈しようとかまいません。
今日お別れしたきた人には、よかったね と私は思い伝えました。
またね またお会いしましょう。


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