村上春樹の小説「国境の南、太陽の西」を今読んでいる。その中にこんな話がある。
三十になって僕は結婚をした。僕は夏休みに一人で旅行をしているときに彼女と出会った。彼女は僕より五歳年下だった。田舎道を散歩していると突然激しい雨が降り出して、雨宿りに飛び込んだところに、たまたま彼女と彼女の女友だちがいたのだ。僕らは三人ともぐっしょ濡れになっていて、そんな気安さで雨が上がるまであれこれと世間話をしているうちに仲良くなった。もしそこで雨が降らなかったら、あるいはもし僕がそのとき傘を持っていたら(それはあり得ることだった。僕は傘を持っていこうかどうしようか、ホテルを出るときにけっこう迷ったのだから)、僕は彼女とめぐり会わなかったはずだ。そしてもし彼女とめぐり会うことがなかったなら、僕は今でも教科書の会社に勤めていて、夜になると一人でアパートの部屋の壁にもたれて独り言を言いながら酒を飲んでいたのかもしれない。そういうことを考えると僕はいつも、我々は本当に限られた可能性の中でしか生きていないのだという事実を思い知らされる事になる。
そう。本当にそう思う。僕は前にも書いたかもしれないけど運命論者なんかじゃないけど、偶然っていうものはないんじゃないかな?と思っている。すべては必然の中にあって偶然だと思っていた事もすべて来るべくして来る、あるべくしてあるものなんじゃないだろうか。ただ、僕が思うのは道は一つではないと思っている。そのときそのときに選択肢があってどれを僕が選ぶかそれは自分で決める事だと思う。たとえば上の文章でいえば、「傘を持っていく」「傘を持っていかない」という選択肢が提示されていた。そして主人公は「傘を持っていかない」という選択肢を選んだ。それはその二つの選択肢が提示された時点で次の事は決まっているのかもしれないと考えている。 そういう選択肢が一日の中で何百も何千もあって自分の人生は成り立っているのではないだろうか。ただ小さい些細な選択肢とかじゃなく、「絶対に今、こっちに流れている」と感じるときはある。それは自分が選ぶとか選ばない以前の問題として神様(もしいたとしたら)はこっちに持っていきたいんだろうな、と感じる。
自分で書くのも変だけど、この日記で「神様」なんて言う言葉が出てくるとは思っていなかったな。 今日はこれから帰宅。はぁ、お腹すいた。 |