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2002年02月09日(土) 旅の準備・その2

去年の夏に訪れた利尻島からよく晴れた日にはサハリンが見渡せる。
それはわずか50キロ足らずの距離。稚内からは夏の間だけだが
サハリンとを結ぶ定期船が就航している。
稚内の街の交通標識にはロシア語表記が併記されていた。
そんなところに横浜とも神戸とも違った仄かな異国情緒を感じた。

けれど隣国ロシアに入国するのは遠くアメリカやヨーロッパの国々
に入国するのよりも難しい。ただビザが必要なだけで無く、
旅程の全ての予約支払い証明書(バウチャー)と現地受け入れ機関
の発行する招待状が必要。警察官は日本人と見ればいちゃもんをつけ
小遣い稼ぎを目論見、外に出ればナポレオンもナチスをも追い返した
厳しい寒さが待っている。

水曜日、ビザ申請のため麻布台にあるロシア大使館へ向かったが、
申請に必要なバウチャーに記載ミスがあり、その訂正のために
旅行会社に寄っているうちに申請時間ギリギリになってしまった。
相手は外交官、ましてやロシア人である。申請時間延長などという
サービス精神は欠片も期待できないし、それに期待するほうが
バカであろう。案の定、領事部入り口にはこんな張り紙が。

「ビザの申請窓口は12時30分ちょうどで締め切らせていただきます。
12時頃到着された方は申請できないこともありますので、ご了承下さい」

時計を見ると12時25分。申請書記入の時間なども考えると無理だ。
むべなるかな。「ご了承」するしかない。

やむなく、大使館を後にする。大使館付近は警察官が要所要所に
配置され、物々しい雰囲気。自然、歩も早くなる。

途中、飯倉交差点で不思議なものを見つけた。
交差点の一部に設置された折畳式の門。
そこに警官が一人。

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翌木曜日、昨日同様地下鉄南北線六本木一丁目駅で降りて、
大使館方面へ向かうとなにやら騒がしい。前方の飯倉片町交差点を
見やると、夥しい数の警官が交差点の一方をふさいで、いかめしい
言葉を羅列した黒塗りの街宣車がロシア大使館方面へ進入するのを
防いでいた。

なるほど、北方領土問題は今だ係争中であるし、第2次大戦末期の
日ソ中立条約破棄、シベリア抑留など日本とロシアの間での紛争には
事欠かない。それゆえ、ロシア大使館は日本の政治団体の格好の標的と
なってしまうのだろう。

警察側も手馴れたもの。昨日見た折畳式の門をさっと広げて
街宣車の進路を妨害し、追い返してしまう。その間わずか2、3分。
なるほどあの門はこのために設置されていたのか。

大使館にはなんとか12時前に到着。
外の喧騒とは裏腹に、領事部内は静まり返っていた。
夏休み中はビザ申請者でごったがえすらしいが、今は冬。
それでも3、4人がいた。学生らしき男女が一人ずつ。それと中年男性。
むむむ、しかしこの中にシベリア鉄道乗車などというばかげた
目的のある人はいるのだろうか。いやいるわけない。
表情をうかがう限り、皆まっとうな顔をしている。
学生らしき2人は大方留学、中年男性は仕事の関係だろうか。

申請書類とパスポート、バウチャー、招待状を提出すると
係員はニコリともせずビザ引き換え受領証を渡してきた。

大使館の外に出て、ふとパスポートが無い事に気付いた。
そうなのだ、ビザが下りるまでの一週間、パスポートは
大使館に預けられたまま。これでは、何かと支障もあるだろうが、
相手は外交官、ましてやロシア人である。
掛け合ったところでにべも無く断られてしまうのが関の山だろう。

帰り道、少し道に迷い、ふと見上げると東京タワーが聳えていた。
東京のどこか見晴らしの良い所から夜景をみるとき、いつも目印に
しているけれど、実際に東京タワーに登ったのは一度きり。
確か幼稚園くらいの頃だった。

あの頃からこれまで、東京にはたくさんの高い建物が出来たし、
東京タワーなんてもう時代遅れのものなのかもしれない。
けれど、もし東京の夜景をイメージしろといわれたら、
この赤いタワーを欠かすことは出来ないように思う。


おじゅん |MAILHomePage

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