エンターテイメント日誌

2006年04月01日(土) 2001年夏、NYにて。

2001年の春に、僕は念願であったニューヨーク旅行を決意した。初の渡米である。その契機となったのは大好きなメル・ブルックスの映画「プロデューサーズ」がその年、メル自身の手で舞台ミュージカル化されブロードウェイで大絶賛を博していたからである。トニー賞を総なめにすることは確実視されていた。ネイサン・レインやマシュー・ブロデリックなどオリジナル・キャストで観るには今しかない。NY旅行は8月末と定め、トニー賞授賞式後はチケット入手不能になることが確実と睨んだので、授賞式が行われる2週間前の5月中旬にチケットを手配した。

日本の手配業者に旅行日程を伝え、一週間の滞在期間内なら何時でもいい、席種は問わないから何とか「プロデューサーズ」を入手してほしいと依頼した。もうその時点で「プロデューサーズ」はブロードウェイ史上最もチケット入手が困難なミュージカルと言われていた。

10日ほど経過し、業者からチケットを確保したとメールが届いた。2階最後列の席だった。ちなみに手数料はチケット代金とほぼ同額くらい掛かった。また同時に、「オペラ座の怪人」「42ND STREET」「アイーダ」「キャバレー」のチケットも押さえてもらった。

そして迎えた6月3日(現地時間)、「プロデューサーズ」は12部門受賞というトニー賞新記録を打ち立てた。「42ND STREET」はリバイバル作品賞を受賞した。授賞式の模様はNHK BSで6月8日に放送された。授賞式で披露された「42ND STREET」のタップダンスは圧巻で、「プロデューサーズ」の創意工夫に満ちた歩行器ダンスは底抜けに可笑しかった。授賞式の合間に挿入された唐沢寿明、島田 歌穂、川平慈英によるトークも実に楽しかった。唐沢が今回のミュージカル版映画化にあたりおすぎとスポットCMを担当しているのも決して偶然ではない。その授賞式の模様はちゃんと録画し、もう何十回となく繰り返し観た。

「プロデューサーズ」を上演しているセント・ジェームズ劇場に到着するまで、心配は絶えなかった。ネイサン・レインが数週間夏休みをとるらしいという噂が流れていたからである。チケットを手配してくれた業者にも問い合わせたのだが、彼の夏休みに運悪くあたってしまうかどうかは天のみぞ知るとのことだった。夏休みでなくても週に一度くらいはネイサン・レインやマシュー・ブロデリックが休演するそうなので代役(アンダースタディ)にあたる可能性もある。なにしろ週8公演もあるのだからそれも詮無いことである。

公演は夜8時からだったのでその前にディナーを食べた。「プロデューサーズ」観劇前は絶対に劇場近くにある「サーディーズ」に行かねばと決めていた。「サーディーズ」はブロードウエイの劇場関係者御用達のレストランで、店内には俳優たちの似顔絵が沢山あることで有名だ。実は「プロデューサーズ」でマシュー・ブロデリックが唄うナンバーの歌詞に「もし僕がブロードウェイのプロデューサーになれたら、サーディーズで毎日ランチを食べたい」というくだりがあるのである。確かにブロードウェイらしい華やかな雰囲気のあるお店だった・・・しかし、食事はファミリー・レストランの高級版程度の味だった。笑ったのは食後に紅茶を注文すると、ティー・ポットにリプトンのティーバッグが放り込まれた状態で出てきたことである!まあそのことからも食事のレベルは推して知るべしだろう。一度は行く価値はあるが、二度と行く気にはならない。「サーディーズ」はそんなお店だ。

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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]