エンターテイメント日誌

2006年03月27日(月) 山に還る

今年のアカデミー賞で一番の番狂わせだったのは勿論、作品賞で「クラッシュ」が受賞したことなのだが、「ブロークバック・マウンテン」を観て想うのは、映画の完成度や余韻の深さから考えると「ブロークバック」よりも「クラッシュ」に軍配が上がるということだ。そういう意味で監督賞が「ブロークバック」のアン・リーで、作品賞を「クラッシュ」に送るという選択はバランス感覚に富んだ見事な采配だったと言えるだろう。巷では「ブロークバック」が作品賞を受賞出来なかったのは、アカデミー会員が保守的で、同性愛を扱った作品を嫌ったのだろうと囁かれているが、筆者はその意見に否定的である。単純に「クラッシュ」の方が出来が良いのだ。

さて、「ブロークバック・マウンテン」の評価はBである。確かに淡々として、しみじみ味わい深い佳作である。ある意味題材は際物だが、アン・リーの上品・上質な描写が映画を格調高いものにしている。主人公のふたりのカウボーイにとって、安らぐことが出来るのはブロークバック・マウンテンの懐に抱かれいる時だけだったというのがなかなか良い。山の描写が生き生きとして美しいだけ、山を下りてからの生活が色褪せて見える。

しかし筆者は世間で騒がれているほどこの作品が傑出しているとは決して想わない。結局、同性愛者を題材にしたからこそ物珍しく、同性愛をタブーと見なすキリスト教社会にとっては衝撃的だったのだろうが、案外物語そのものはありきたりである。

男同士の恋愛という設定を男女に置き換えてみればいい。例えば映画「エデンより彼方に」のように黒人の男と白人女の恋。例えば交通事故で夫を失った未亡人が加害者の男と恋に落ちる成瀬巳喜男監督の「乱れ雲」。あるいは身分違いの恋でもいいし「ロミオとジュリエット」を連想してもらってもいいだろう。つまり世間からは決して認められない<禁断の恋>というのが「ブロークバック・マウンテン」という作品の本質であり、そう考えてみると案外この物語は通俗的なメロドラマである。

アメリカ合衆国というのは未だに不寛容(イントレランス)な国家である。例えば宗教的理由で「ブロークバック・マウンテン」はユタ州で上映禁止になった。またこの作品でアカデミー助演女優賞にノミネートされたミシェル・ウィリアムズはカリフォルニア州にある母校サンタフェ・クリスチャン・スクールから縁を切られた。その理由は「卒業生がゲイをテーマにした映画で苦悩する女性を演じたのは非常に不快。彼女の行動は当校の価値観とは異なり、一切関わりは持ちたくない」(校長談)とのことである。ちょっと日本人の感性からは理解しがたいよね。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]