エンターテイメント日誌

2003年08月23日(土) HERO/英雄(ヒーロー)になる時、それは今

以前にも書いたのだがチャン・イーモウ監督はデビュー作「紅いコーリャン」の頃から、色彩、特に紅(あか)にこだわる人だった。だから最新作「英雄」について、その鮮烈な色彩が話題になっても今更決して驚くべきことではない。しかし、筆者が既に半年以上前、1/18のエンターテイメント日誌で予言した通り、今回撮影監督に香港映画界きっての耽美派、クリストファー・ドイルを迎えたことで、映像美にさらに磨きをかけたことは特筆に値する。特にあの紅葉の舞い散る場面の鮮やかさ!もう溜め息あるのみである。雨垂れなど水の表現も驚異的な美しさであった。

ただしこの映画を「グリーン・デスティニー」のようなワイヤーアクションを駆使した痛快アクション大作を期待して観に往くと、肩透かしを喰らうことになるだろう。アクションというよりは華麗な<舞い>に近い。アクション監督はいわば振り付け師の役割を果たしている。また、かなり内容が観念的・哲学的で手に汗握るスリル、興奮からはほど遠い地平にこの作品は存在する。そういう意味では観客を選ぶ映画と言えるだろう。幸いなことに筆者は選ばれたわけであるが・・・。

映画は主人公の<無名>が秦王に語る物語を聞きながら、観客は何が真実で、何がそうではないのかを探るという構成になっており、つまりは黒沢明監督の「羅生門(原作は芥川龍之介の『薮の中』)」を踏襲する形で進行する。そしてその中で色彩分けされた鎧をまとった兵士の大軍が右往左往ドドド、ドドッと蠢く映像が挿入される。このモブ(群衆)シーンを観ながら筆者は即座に黒沢監督の「影武者」や「乱」を連想した。チャン・イーモウが今回このようにして黒沢映画へのオマージュを語っていることに間違いはない。だからこそ「乱」で米アカデミー衣装デザイン賞を受章したワダ・エミがわざわざスタッフとして招かれているのだろう。映画は繋がっている。

「影武者」「乱」を撮った頃の黒沢監督は往年のファンから激しく非難された。観客は「用心棒」や「七人の侍」みたいな娯楽時代劇を期待したのに、そこにあったのは様式美には溢れているがカタルシスからほど遠い作品だったからである。つまり「英雄」を観た一部の観客から漏れ聞こえる不満の声は、このことと決して無関係ではないだろう。エンターテイメントを愉しみにして来たら、アートを見せられたことへの戸惑い。

<無名>を演じたジェット・リーよりも<残剣>のトニー・レオンの方が渋くて恰好良く、儲け役だった。チャン・ツィイーは「グリーン・デスティニー」ほどアクションに切れがなく、チャン・イーモウ監督の手によるデビュー作「初恋の来た道」(もう、超可愛い!)ほどの魅力が残念ながら感じられなかった。タン・ドゥンの音楽はオスカーを受賞した「グリーン・デスティニー」にいささか似ていなくはなかったが、印象に残るとても良い仕事をしたと想う。

「英雄」ではチェン・カイコー監督が映画「始皇帝暗殺」を撮る為に建設した壮大なオープン・セットをそのまま流用しているらしい。だって時代設定が全く一緒だもんね。だから相当経費節減になったんじゃないかな。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]