エンターテイメント日誌

2002年08月03日(土) お待たせ!「天国にいちばん近い島」紀行<本編>

漸く帰国したので旅の報告をしよう。これは前項<予告編>の続きである。
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実はその島々にはかつて一度も撮影隊が入ったことがなかったので映画のスタッフは段取りを整えるため、部族の酋長や住民への挨拶と根回し、贈り物、儀式への参加などに駆けずり回リ、準備に1年を要したという。その苦労が報われ、「天国にいちばん近い島」はニューカレドニアで撮影された世界で初めての映画となった。

前述したようにニューカレドニアは南半球にある為に、現在季節は冬である。気温は20℃前後。だから僕が本島のヌメアに到着した時は少々肌寒いくらいであった。滞在した約1週間の大半が曇りだったので海の水は冷たかった。ホテルのプールでも殆ど泳いでいる人を見かけなかった。それでも僕は果敢に寒中水泳に臨んだのだが(笑)。天気は生憎だったが、それでも「天国にいちばん近い島」ことウベア島の海は限りなく蒼く透き通っており、この世のものでないほど美しかった!特に映画のクライマックスでロケ地に選ばれたムレ橋周辺からの眺めは言葉を失うくらいの絶景。生まれて初めて「マリン・ブルー」という言葉の真の意味を知った想いがした。その砂浜はまさにパウダー・スノーで、ちょこまか動く蟹たちは保護色の真っ白。また浜辺に打ち上げられた様々な色や形をした貝殻が目を楽しませてくれた。

ニューカレドニアの人口の約30%を占めるフランス人がバカンスを過ごす場所として人気なのは「海の宝石箱」と呼ばれるイル・デ・パン島であり、それに対して日本人に圧倒的人気を誇るのは勿論小説や映画の舞台となったウベア島である。しかし2000年にホテル「パラディ・ドゥ・ウベア」が完成するまではウベア島にリゾート・ホテルは存在しなかった。僕はそのホテルに3泊滞在したのだが、大体宿泊客の比率は日本人:フランス人=6:1位であった。島にはバスもタクシーもない。ホテルのレンタ・サイクルを借りて一生懸命ペダルを踏んで島巡りをしているとメラネシア人の島の人たちが手を振って気軽に声をかけてくれる。「ボンジュール!」あるいは日本語で「こんにちは!」「さようなら!」と。そういう人々の暖かさが嬉しかった。夜寝る時に聞こえるのは波の音と鳥の声だけ。ウベア島の名物料理は椰子蟹といって椰子を食べるので本当に椰子の香りがする珍味であった。

ニューカレドニアの公用語は勿論フランス語で、英語圏の観光客はほとんど皆無に近く、アジア系は日本人ばかり。しかし日本語と英語しか喋られなくても何不自由もなかった。本島(グランドテール島)の中心地ヌメアのフランス人も片言の日本語で話しかけてくれるしとても親切。パリのフランス人とはえらい違いだ。有名なレストランにはたいてい日本語メニューが用意されている(寧ろ英語メニューの方が少ないくらいである!)。治安も良いしニューカレドニアで僕の出会った人々は本当に気さくで気持ち良い人たちばかりだった。また、ヌメアの朝市で飲んだ搾りたてのオレンジジュースやカフェ・オ・レはとても美味しかった。絶品だったのは夜景の奇麗な山の上のレストランで食べたチーズ・フォンデュ!チーズを熱で溶かしながら食べるラクロットも気に入った。ヌメアでは森林公園も訪れニューカレドニアの国鳥、カグーにも逢ってきた。

イル・デ・パン島には日帰りツアーで往った。こちらはさすがにリゾートの島らしく変化に富む面白さがあった。隆起サンゴによって波の荒い外海からさえぎられ、岩の間から入り込む海水によってつくりあげられた自然プールのピッシンヌ・ナチュレル。この楽園やカヌメラ・ビーチで楽しんだシュノーケリングでは数えきれない色鮮やかな熱帯魚が手でつかめそうなくらい近くに優雅に泳いでいて、想わず感嘆の溜め息が出た。特産のロブスターやエスカルゴには舌鼓を打った。水平線にゆっくりと沈む夕日も印象的だった。確かにフランス人にこの島が人気なのは頷ける。しかし、海や浜辺の美しさでは流石に「海の宝石箱」も「天国にいちばん近い島」には敵わないなと想った。

こうしてちょっと水は冷たかったけれど、あたかも夢の中にいたような僕の「天国にいちばん近い島」への旅は幕を閉じたのである。


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