エンターテイメント日誌

2002年06月15日(土) ピースを嗤う <模倣犯>

もし日本に最低映画を選ぶゴールデン・ラズベリー賞(ラジー賞)が存在するなら今年の作品賞、脚本賞、監督賞は「模倣犯」のぶっちぎり受賞は確実だな。ついでに藤井隆の助演男優賞も。そういう意味ではなかなかこれだけ酷い映画にお目にかかる機会も滅多ないだろうから、必見であると万人にお勧めしたい。

森田芳光監督作品の系譜のなかで出来の悪さとしては「メイン・テーマ」「そろばんずく」に匹敵する、いや、それ未満だろう。(残念ながら「悲しい色やねん」は未見)。あ、評判の芳しくない「愛と平成の色男」は、実は案外好きだったりする。名作ミステリイの改悪例としては今までは崔洋一監督の「マークスの山」が最低だと想っていたが(原作の読み応えには感銘した。嗚呼、この落差!)、あれを「模倣犯」は上回ったかも。森田氏が「の・ようなもの」「家族ゲーム」「それから」などの傑作を撮った頃、新進気鋭の21世紀を担う有望な監督だと僕は大いに注目していたのが、この目を覆いたくなるような凋落ぶり。情けない。

ただ今後期待したいのは、映画「模倣犯」はスマッシュ・ヒットしている様だから、これから他の宮部みゆき原作小説の映画化が加速されて念願のあの名作「火車」映画化のプロジェクトが動き出すと嬉しいな。しかしねぇ、実はこの「火車」映画化を狙っているのが崔洋一だったりする…。既にシナリオも完成しているようだ。崔洋一との共同脚本は「月はどっちに出ている」の鄭義信氏で、この人はまもなく公開される桐野夏生原作の「OUT」映画版も執筆している。こちらの監督は「愛を乞うひと」「ターン」の平山秀幸さんだから大いに期待しているが、崔洋一版「火車」だけは勘弁して欲しい。

僕は今回あえて原作を読まずに映画に臨んだのだが、「原作はきっと映画と違って面白いんだろうなぁ。」と観ながら痛切に感じた。この感覚も映画「マークスの山」を観ていた時と全く同じ。つまり映画の内容が支離滅裂で破綻しているので、評判の良い原作だけに相当の改変をしているのだろうと如実に感じてしまうのだ(脚本も森田芳光が執筆)。伏線は沢山張られているが、結局その大半が放置されたまま最後までなんの説明もない(例えばピースが咳をしていた理由とか)。もう無茶苦茶である。これがかつて「ウホッホ探検隊」という名シナリオを書いた人の仕事なのだろうか!?宮部みゆきファンがいろいろな掲示板で暴動を起こさんばかりにこの映画に怒り狂っているが、当然だろう。原作者自身も週刊誌における監督との対談の中で、最後のピースの末路と彼の手紙についての大幅な改変に、疑問を投げ掛けていた。

それからインターネットを映画に登場させて、時代の最先端を装っているものの、結局それが物語になんら噛み合ってこない。つまり森田監督のネットに対する知識が浅過ぎるのだ(ちなみにこの映画はYAHOO!JAPANが出資している)。森田作品にはパソコン通信をテーマにした「(ハル)」という佳作があったが、森田氏の知識ってパソ通時代から少しも進歩してないんじゃないだろうか?

ちなみにこの「模倣犯」はハイビジョンカメラで撮影されたものをフイルムに変換するというキネコ(キネスコープ・レコーダ)方式を採っているが、それが効果を上げているとは想えない。特に野外撮影に於ける空の色がいただけない。美しい青空が表現できず大変汚い映像になっているのだ。ハイビジョン映像はスクリーンよりブラウン管の方が奇麗に映るに決まっている。一体これを映画館で見る意義は果たしてあるのだろうか?

さあ、ここからネタばれタイムだ!内容を知りたくない人は決して読まないように。

(念のため改行)



なんといっても酷いのが主人公ピースの言っていることとその行動が不一致で完全に自己矛盾を起こしていること。
「僕はデジタル人間。無臭だ。」
とピースは得意げに自称する。しかし殺人のネット・ライブを宣言しながら結局それはフェイクに過ぎず、車のブレーキに細工したり、一体全体どこがデジタルなんじゃい!半世紀以上前の犯罪手口じゃないか。最後にあれだけ馬鹿にしていた豆腐屋の親爺に自分の子供を託すという行動意図も不可解としか言いようがない。説得力が欠如している。おまえ、骨の髄までアナログじゃないか!無臭どころかプンプン臭うんだよ!それにこの最後の手紙、時系列で考えるとテレビで遺族たちと対決する前に書いたことになる。あれだけ自分の犯罪に酔い痴れていた癖になんで手紙では、自分の非を認めて弱腰なんだ!?

結局「デジタル、デジタル」と念仏のように唱えている森田芳光監督自身は所詮、時代についていけない完全アナログおじさんだったということに過ぎないのだ。最近茶髪にしたらしいが単に若い世代に媚びているとしか見えず、みっともないだけだ。ピースのCG処理による自爆場面も、人間性を排しあくまでピースの「デジタル人間」ぶりをアピールしたかったのだろうが、その演出意図が空転し、まさに茶番である。映画館のあちこちから苦笑が漏れ聞こえていたことは言うまでもない。

そうそう、山崎努をホテルに誘い出して手紙を豆腐屋に投函する手法にも笑った。だったら誘い出す必要ないじゃん!最初から深夜にポストに入れれば済むことだろう。結局ピースのすることなすこと矛盾だらけ。

それにしても被害者の古川鞠子は
「私を殺してもいいから、私が何処へいこうとしていたかだけは爺ちゃんに言わないで」
とピースに懇願していたが、結局あれは何のための伏線だったのだろう?ま、まさか最後に登場する赤ちゃんは鞠子とピースの間に出来た子供だとでも言いたいのか!?・・・引きつった笑いしか出てこない。はぁ・・・(溜め息)。

追記:同じ宮部みゆき原作でも映画「クロスファイア」(金子修介監督)は見応えがあり、秀作だと想う。矢田亜希子が可愛いし。


 < 過去の日誌  総目次  未来 >


↑エンピツ投票ボタン
押せばコメントの続きが読めます

My追加
雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]