エンターテイメント日誌

2001年12月14日(金) 決定版!ハリー・ポッター狂想曲を総括する

映画「ハリー・ポッターと賢者の石」についての批評・感想文の類は最早出尽くした感がある。「エンピツ」のサイトをはじめ沢山の人々がこの映画について語り、喧しいがその論点を整理すると実はその大半が、異口同音のことを述べているに過ぎないことが分かるだろう。

賞賛派:原作を忠実に映画化しており、原作ファンの期待を裏切らない仕上がりになっている。子役が上手い。キャストを含め原作のイメージを見事にビジュアライズする事に成功している。音楽・美術・特撮などが素晴らしい。特にクイディッチの試合の場面がスピード感があり迫力満点だった。

否定派・保留派:単なる原作のダイジェストに過ぎない。クリス・コロンバス監督の個性が感じられない。つまり作家性が乏しい。それにしても上映時間2時間半は長すぎる。それから音楽が五月蠅(うるさ)い。

突き詰めれば以上のようなことに意見が集約されるだろう。僕自身はこの映画を面白く観た。確かにジョン・ウイリアムズの音楽は少々鳴らし過ぎかな?とも想ったが(笑)、大好きだ。6度目のオスカー、期待大である。

この映画の成立の過程はどこか「風と共に去りぬ」を想い出す。原作が超ベストセラーで原作ファンの期待を裏切らないよう、入念なキャスティングと忠実な映像化がなされた。スカーレット、レット、メラニー、アシュレー、いずれもこの人達以外では現在は考えられない位、正にはまり役と言えよう。付け加えるなら、原作者が女性と言うことも両者の共通項である。「風と共に去りぬ」の上映時間は3時間半もある。それはあの膨大な原作を忠実に映像化するにはそれだけの時間が必要とされたのだ。誰もそれが「長すぎる」と非難する者などいない。

「風と共に去りぬ」に携わった脚本家は総勢20名余りと言われている。そのリストの中には「グレート・ギャツビー」の著者、スコット・フィッツジェラルドもいた。監督は最初ジョージ・キューカー(「ガス燈」「マイ・フェア・レディ」)で撮り始められた。しかし女優達ばかりに構っているとクラーク・ゲーブルからクレームが付いてキューカーは途中解雇。ビクター・フレミングが後を継いだ。それに女優達が反発し、特にビビアン・リーの反抗的態度に手を焼いたフレミングはとうとう体調を崩しこれまた降板してしまい、結局サム・ウッド(「誰が為に鐘は鳴る」)が映画を仕上げた。つまり「風と共に去りぬ」にはその成立過程からして「作家性」などあろう筈もないのである。だからこの作品は信じがたいことだが公開当時、映画評論家の評価は総じて低かった。アカデミ−賞こそ、プロデューサーのセルズニックが大金を投じた大キャンペーンを展開したお陰で受賞できたが、批評家協会賞などで高く評価されたののは「駅馬車」や「嵐が丘」など作家性の高い作品であった。

つまり「ハリー・ポッターと賢者の石」は英国を舞台に、英国俳優のみで撮影された作品であるが、その内実はまさしく伝統的な「ハリウッド大作文芸映画」のシステムで製作された映画なのである。自分を殺してひたすら原作者とそのファンに奉仕したクリス・コロンバスの方法論は潔く、あっぱれである。作家性が皆無である「風と共に去りぬ」がハリウッド映画の金字塔になった如く、「ハリポタ」シリーズも、21世紀を代表する作品として長く人々の心に刻まれることであろう。


 < 過去の日誌  総目次  未来 >


↑エンピツ投票ボタン
押せばコメントの続きが読めます

My追加
雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]